開口健。昭和5年大阪に生まれ中学一年のとき小学校校長の父を失う。その頃開高健は古本屋のオヤジになることが夢だった。明けても暮れても本を読み、ウトウトとしては、人から金を取る美しいイメージしかない。大阪市立大学、旋盤見習いから様々なアルバイトに明け暮れ、絢爛たる才能で同人「えんぴつ」に参加。もしこの世に文学的才能あるとすればこの男にしかないと同人に瞠目させる。「パニック」「巨人と玩具」を発表し、昭和33年「裸の王様」で第38回芥川賞を受賞。27歳だった。そんな開高健の晩年における釣りについて素敵な言葉とエピソードを紹介する。

第一章:開高健が考える魚釣り

出典:河は眠らない

開高健は帽子が好きだった、旅毎に帽子が変わっていた。

開高健:「後で旅の写真見るやろ。その時何の旅かすぐに思い出せるからなんや。」

魚釣りは自分探しだという。

開高健:「こすからい、大きな見事な立派な魚に出くわした際、逃げられる。また釣る、また逃げられる、なかなか釣れないということになると、しゃにむに釣りたいという気持ちになってくる。あれは立派な魚だ、見事な魚だ、あれは俺だということになる。私自身を求めていくということになる。」

1986年と87年2回にかけて開高健はモンゴル奥地へ出かけた。幻の巨大魚イトウを求めた旅である。自分自身を訪ねての旅である。

開高健:「ここには120cmの魚がいると言う。これを信じてここへやってきた。これ以下の魚は認めない。そういう本年度の姿勢方針であります。老年よ大志を抱け!はっはっはっ。」

開高健:「若い頃から何故か引きずり続けている不安と焦燥。書斎に向かっていると足元から自分が腐っていくように思えることがある。

そんな時なんだ。旅に出る。大いなる大地との出会い。人との出会い。魚との出会い。そして回復する。だからそれは釣りであってただの釣りではない。釣りを超えた何か。」

悠々として且つ急げ。これがなかなか実行できない。

第二章:フィッシュアンドチップス

フィッシュアンドチップスはロンドンで一番安い食べ物だろう。

開高健:「昔私の家によく遊びに来ていたオックスフォードでたんか、ケンブリッジでたのか日本文学研究していた若者がいて、それが私の家に来てフィッシュアンドチップスの話になって。あれをホカホカと、いつまでも暖かく食べる方法があると。

新聞紙に問題がある。タイムズなどで包んだら目も当てられない。冷めちゃって。だからエロ新聞で包むといつまでもホカホカと暖かいという。」

ロンドンまできた目当てのフィッシュアンドチップスはいまいちだったようだ。

開高健:「正直私が思っていたフィッシュアンドチップスよりうまくないですな。記憶が美しくしてしまったんですね。私はこれを食べたくてロンドンに来たのですが、いろんなもの、その後食べ過ぎて。知らなくていいことを知ってしまったために世の中が寂しくなる。面白くなくなる。これを知恵の悲しみというのですが、食べ物も大いに知恵の悲しみになります。」

第三章:開高健が魅せられたアマゾンフィッシング

  • 一時間幸せになりたかったら酒を飲みなさい。
  • 三日間幸せになりたかったら結婚しなさい。
  • 八日間幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。
  • 永遠に幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。

中国古諺

アマゾンでの釣りの旅を描き1981年に上梓されたオーパ!はその中の一冊である。

オーパの冒頭にはこんな一文が書かれている。

何事であれブラジル人は驚いたり簡単したりするとき【オーパ!】という。

アマゾンではあらゆる瞬間にオーパ!が隠れている。

現地でトゥクナレと呼ばれているピーコックバス。十分にファイトを楽しめる魚なのだが、川の虎ドラドには遠く及ばない。

金色に輝く美しい体を持った魚ドラド。この魚について開高健はこう書いている。

開高健:「ドラドが釣り師を恍惚とさせるのは、色が美しいとか、体が大きいとか、肉が美味しいとか、ゆうよりは一にも二にもその闘争と跳躍の見事さなのだ。そこなんだ。ひたすらそれなんだ。しかしその闘争に持ち込むことさえ容易ではない。」

アマゾンの釣りはオーパ!に満ちている。このオーパ!を感じることが釣りの醍醐味である。思えば開高健はアマゾンで偶然オーパ!に出会ったのではなく、オーパ!を探しているうちにアマゾンにたどり着いたのではないだろうか。

開高健はきっとオーパ!を求める生き方をしていたのではないだろうか。

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