登山には頂上を目指す方法が多様にあります。一般登山道を行く方法、道なき道を行くバリエーション登山、岩壁をよじ登るロッククライミング。数ある登山方法の中でも、渓谷を遡行し水しぶきを浴びながら滝を登る沢登りは、日本で発達した魅力ある登山方法です。今回は沢登りの魅力と基本をご紹介します。
沢登りとは
山頂を目指すひとつの方法として発展してきた日本特有の登山方法で、登山道と異なり手つかずの自然を残し、滝の登攀、渓流釣り、渓での野営など、沢登りでしか味わえない行程があることが魅力です。地図読みやクライミングなど総合的な登山力が必要ですが、あの登山方法とは一線を画す個性的な山の時間を楽しめます。
沢登りの歴史
日本独特の地形、気候、文化の中で発展してきた沢登り。遡行技術自体は、山にある山菜、生物を獲得する手段として磨かれてきました。
近年では道具の発達と技術の進歩で高難度の遡行が行われるようになり、この道具の発達と技術の進歩は、生活の糧として磨かれてきた沢登りを登山者の思想を表現する場としても拡大する要因となり、情報技術の進化と相まって、沢登りを通して自然と親しみ、現在は心身を癒す場としてもその裾野を広げています。
裾野を広げてきた沢登りですが、その探検・冒険的要素は変わることなくさらに洗練され、黒部峡谷を始め、称名廊下の完全遡行など、国内の実力ある登山家が日本に残された秘境に挑戦しています。大西良治氏の称名廊下完全遡行、門田ギハード氏のハンノキ滝冬季単独初登などが有名です。
沢登りの魅力
魅力①:手付かずの自然
登山道と異なり、整備されていない原始的な風景の中を歩くのが沢登り一番の魅力です。沢登りを始めた時、これまで登ってきた登山道とは違って、道がないことへの不安、目の前に立ちはだかる滝にただただ圧倒され「これが沢登りか」と感動と自分の小ささを肌で実感したのを覚えています。
そんな中でも自分で道を見つけ登っていく事で、これまで登った山が別の山に見えるような、新しい感動を味わいました。遡行記録にもない場所を歩き、きのこや山菜の群生を見つけたり、普段は遠くからしか望めない紅葉や山桜が眼前にある時、悠然と泳ぐ渓流魚を眺めたりと、人間の存在を感じさせない自然の存在に分け入る喜びは、今も沢に入る原動力になっています。
魅力②:自由な登山
道がないので、地形図や現地の風景を元にルートを見つけていきます。一般登山道を登るより難易度は上がりますがその分自由度が高く、自分だけのルートで登ることで、より山と一体になったような体験を得られます。
沢登りには、遡行する沢の詳細な記録が残された遡行図があります。この遡行図を参考に登ることはできますが、記録を取った当時から地形が変わっていることがあり、これまで楽に登れた滝やトラバースが出来なかったりと「誰も知らない自然を歩く」事がよくあります。そんな時、どんなルートを導き出して登るかは自分だけで、その導き出したルートで遡行を終えた時は、一般登山道では味わえない達成感が全身を満たしてくれます。
魅力③:沢での野営
沢登りでの焚き火の目的は、遡行で冷えた体を温め、濡れた衣類を乾かし、緊張が続く環境の中から心の糸を解くという重要な意味があり、どんな環境下でも焚き火をできる技術は必須といえます。
意図がある沢登での焚火ですが、沢沿いでの焚火が最大の楽しみといえるほど、沢登り中の野営は非常に魅力です。その日の目的が焚き火という時もあり、しこたま仕込んだ酒と食糧を担ぎ上げる時も。登山をしたことのない人から見たら「命がけの飲み会」と見えることと思います。
そんな命がけの焚火。現地で薪を調達し火を熾すとその日の緊張が解け、揺らめく焚火の火を見つめながら過ごす沢の夜は最高です。煤だらけになった調理器具が誇らしく見え、下山した後で見る煤汚れた鍋は、一期一会の思い出となります。
魅力④:涼しい
最盛期である夏の沢登りは、常に涼しい環境の中で登山を楽しめます。私が普段登る丹沢は、夏になると熱波押し寄せるサウナかと思える程に蒸し暑くなる時期があり、涼しい環境を求めて沢に入ります。一度沢床に降りればそこは「この世の天国」と言っても大袈裟ではない別世界が広がっています。
沢登りの装備
沢登りは一般の登山と違って特殊な道具を使うことがあります。他の登山方法で使う道具もありますが、沢登りならではの使い方をするので、ぜひ参考にしてみてください。
沢靴
沢登りならではの道具の代表格といえば、この沢靴です。フェルト・ゴムソールなどの独特のソールが特徴で、苔や湿った岩、水中でも高いグリップ力を発揮します。沢の遡行、滝の登攀、詰め上がりなどの行程をこなす沢登で真価を発揮するアイテムで、この靴が無くては沢登りが成立しません。
私が沢登りをするより以前の話では沢靴というものがなく、草鞋を履いて遡行していたという記録があります。現在のフェルトソール製沢靴の原型となったものであり、今でも愛好家がいます。
フェルトソールとゴムソールにはそれぞれ特徴があり、苔むした岩場で歩きやすいフェルト製に対し、乾いた岩場で抜群のグリップ力を持つのがゴムソールです。初めはどの靴を選ぼうか迷うと思いますが、行く沢の環境に合わせて靴を選ぶと良いです。
登攀具・ヘルメット
滝の登攀や岩場のトラバースなどで使い、ロッククライミングで使うものと基本的には変わりません。沢では積極的にロープを使った下降が行われたり、スリングやカラビナなどは汎用的に使えるアイテムのため、野営時や道具を対岸に渡す時など、沢登りならではの使い方がされます。
ロッククライミング用の道具をそのまま使えますが、沢登りに向いた軽量で速乾性の高いハーネスがあったりと、専門の道具もあります。
ウェア
化繊系のウェアや、防水、速乾性の高いレインウェアが重宝されます。泳ぎ系の沢の場合はウェットスーツを着用する場合もあり、体温の低下を防ぎ、体の動きを妨げず長時間の行動を可能にするウェアが沢登りに適したものといえます。
私はよく沢登りに行くときは通年でレインウェアを多用していて、日帰りで難易度の低い沢であればコスパの良いウェアで、これでもかと言うほどハードに使います。
沢登りでは背丈ほどもある藪をかき分けたり、木々や岩に当たり擦れることはしょっちゅうです。薄手のウェアではすぐに摩耗したり破れたりするため、効果なGORE-TEX製を沢登りのためだけに用意したら、いざ破損すると「うわぁ(高かったのに)・・」と嘆くこともあるので、少し使い古したものや、各メーカーのコスパの良い独自素材を使用したレインウェアを使うのがおすすめです。
その他の道具
体が冷えるので保温性の高い水筒、焚火に向いた吊り下げ用の取っ手が付いた鍋、ぐずついた斜面を登るチェーンスパイクなどがあります。いずれもすぐに必要というものではありませんが、遡行を重ねるうちに欲しくなってきます。
今ではどれも欠かさずに持っていくアイテム達ですが、中でもチェーンスパイクは重宝していて、沢登りが未経験の方には意外に見える道具だと思います。初めて沢で使った時、滑りやすい土の斜面でグッと止まった時の感動は強烈で、以来お守り代わりに持ち歩いています。
沢登りのリスク
自然の深奥に入る沢登りは、道なき登山道を歩き人も殆どいない特殊な環境から、一般登山よりリスクが高い登山方法です。沢登りをリスクを知って備えておくことが何より大切です。
リスク①:滑落
滝の登攀、沢底の岩場など、平坦で安定した場所、乾いた環境が少ないのが沢登りの環境です。そのため滑落のリスクが高く、怪我も登山道で転ぶより重度になる可能性が高いです。
ぐずついた斜面でバランスを崩して滑落すれば、そのまま沢床まで落下したり、水流にドボンして流されることもあったりと、滑落した際のリカバリーも含めて遡行する準備が必要です。私も度々足を滑らせては流されたりしていて、疲労が出始めるタイミングで集中力が落ちた時に多いです。今までの滑落を振り返ると、よく今生きているなと感じます。
リスク②:増水
雨天による増水でルートが閉ざされたり、時に流されてしまうことがあります。私は致命的な増水に遭遇したことはありませんが、雨で水量が増えて遡行難易度が上がり、予定時間を大幅に越えて体力を消耗したことが何度かあります。
水位が上がり水の勢いが増すと、平時とは一変して自然が牙を向き、その場にいることが非常に危険になります。高く安全な場所に避難して、その日の行動を打ち切って天候が好転するのを待ちます。
リスク③:動植物
虫の襲撃、植物からの被害を受けやすいです。陽が昇れば大量のアブ・ブヨなどの襲撃に遭い、登攀中に蜂に刺されるなど、行動が出来ないほど致命的な怪我を負うこともあります。植物も獣道や登山道に合流しなければ、棘のある植物はそこら中に生えている場所を通ることも珍しくなく、斜面を四つん這いで上がっていた際、不運にも棘のある植物を掴んでしまい「ぎゃあ!」と悲鳴と共に滑り落ちたことがあります。
北アルプスの某沢を遡行していた時、笹薮が大きく揺れたと思いきや熊が飛び出してきて、同行者と大声をあげて追い払ったことがありました。動物に捕食される覚悟をした瞬間で、しばらく生きた心地がしませんでした。
動植物からの被害は避けることは出来ないので、他のリスクと同様、威嚇行動となることはしない、無闇に植物には触れないなどの知識を深めておくと良いです。
沢登りで登山の新しい魅力を発見しよう!
沢登りは日本で発展してきた独自の登山方法です。渓谷を遡行し自然の雄大さをダイレクトに感じる沢登りは、技術と道具の進歩と共に、自然の魅力を知る一つの方法として親しまれています。登頂するための手段だけでなく、滝の登攀、焚火など、遡行そのものを目的とした多様な楽しみ方があるのも、沢登りの大きな魅力です。ぜひ、沢登りに挑戦してみてくださいね。