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山のモノ Wear / Gears

山のコト Experiences

焚火の遠景
2025.02.22
軽量アックス

軽量アックス

軽量化

私の友人で山道具の軽量化に執着する男がいる。

基本的にすべての道具にグラム数がマジックで書いてある。彼が言うには、カタログ上の数値と実際の数値には、物によってはずいぶんとズレがあるらしい。

例えばある会社の製品はほとんどカタログ値の方が軽いらしい。

多くの場合において、「こんなもの要らないんですよそもそも」という結論になりがちで、彼と行く山登りはいつも不安なほどに背中が軽い。薄いツェルトと薄いシュラフの中で過ごす冬山の夜は薄寒いので、すぐに寝るしか方法がない。

元来、モノは質量でその価値を計られてきた。古来から、穀物にせよ金属にせよ織物にせよ、基本的には重さでその価値を測る。わずか百六十年ほど前までは、この国の主な租税はすべて米であったことを思い出せばいい。

山小屋の宿泊費は米四合が相場だったのはそう遠い昔のことではない。

その名残をひきづっているのかどうかは知らないが、製品がカタログ値より重いことで、それを原因とした訴訟は現実には起こらないらしい。当然その逆は起こりうるのにも関わらずである。(これも誰かに聞いた話なので実際はどうなのかは知らない)

これと通じる話だが、私は小学校三年生くらいまで全ての貨幣のなかで500円玉に一番価値があると思っていた。薄い紙に描かれた文豪の顔の方が価値が高いとは、私には到底思えなかった。

なので私のお年玉は常に500円玉硬貨で支払われていたと記憶している。重量感のある金属的な響きこそ子供心にとっては価値そのものであった。

その貧乏性は生来抜け難いらしく今でも金属ゴミが溜まってくると、燃えないゴミで指定された日に捨て場に出すということはなく、直接自分で鉄屑屋に持っていく。当然全てが重量で計算されるので、荷物を下ろす前後で軽トラックごと測りに載って重量を測り、それがすなわち現金になって戻ってくる。不用品回収業はそれゆえに成り立つ。

登山の軽量化には目的が三種類ある。

ひとつは総重量の軽量化で、これは是非を論じる隙がない。同じ性能であるならば重い靴より軽い靴の方が正しい。

「軽さは正義だ」とだれかは言ったが、これには先程の鉄屑屋は首をかしげるほかはないだろう。

主観だがこれに合う洗練された道具はヨーロッパのメーカーに多い。

もう一つは目的と手段の複式化である。例えば軽量なパラグライダーを背負って難しい登山と滑空を両立させる、といった例がある。発想の転換と進取の気性に富んでいると言え、どうやらアメリカ発であることが多い気がする。

もう一つの目的は嗜好品の多面化だろう。長期の夏山縦走にコーヒー豆と軽量なコーヒーミルを持っていくようなことが該当する。なくても構わないものだが、もしそこにあれば時間が豊かに彩られる類のものと言える。こちらは日本メーカーがそのクオリティを遺憾なく発揮しているのは読者はよくご存知だろう。

軽量アックス

本質のない前置きが長くなった。主題は軽量ピッケルについてである。

ペツルのガリーという製品がこれに該当し、テクニカルな雪面やスキーマウンテニアリングのために開発されたようである。

280g、工場はどこだかわからないが少なくともアイデアはフランス製である。昨今のペットボトルの半分の重量である。私はこのアックスを冬以外のほとんど一年中持ち歩いている。

春は残雪を踏んで谷に降りた時、高枝に生えたタラの芽を取るために、タラの木を折らぬように少し高い位置でねじ曲げるのに使う。

夏は雪国の沢登りで急峻な草付きをトラバースせざるを得ないとき、これがあると格段の安心感がある。

あるいはテン場を整地するのにこのアックスのピックのテコを使利用して大岩を持ち上げ、反対側のアッズで地ならしをする。

秋の松茸採りでやはり急斜面を右に左に水平に尾根を超えながら下る時には山側の手にこのアックスを握っている。いざキノコを見つけた時には、深く地に潜っている松茸の根元を慎重に、かつ場を荒らすことなく穏やかに持ち上げるにはこのピックが不可欠である。

また私の場合は仕事の都合上、道に迷った行方不明者を探して急な谷を登り降りすることが多いが、片手にこのアックスを握って灌木に引っ掛けてなんとなくセルフビレイとしていることが多い。

おそらく私はこのアックスをどのフランス人より長く使っているのではないかと思いたくなる。もちろん本来目的とされた用途とは違った形で。

アックスのシャフトを最初に曲げ、ピックを下方に向けることを考えついた職人を私は尊敬したい。

願わくばそれは、頑固な職人が遊び心に作ったものが意外にもクライマーに絶賛された、というような単なる偶然が事の始まりであって欲しい。それ以前まで疑いもなくストレートなシャフトのピッケルが作り続けられてきたところに、革命とも言える変化が起きたのは間違いない。

以下は雪山をやらない読者のために、言わずもがなのことを書く。

ある程度急峻な斜面では(50度以上)真っ直ぐなシャフトをピオレトラクション(アックスのシャフトの一番下を持つこと)でスイングすると、ピックが効くより以前にシャフトが先にモノに当たってしまうのである。つまり多くの場合、握っている手の第二関節あたりが雪や岩や氷に当たってしまう。

また従来のピッケルのようにシャフトに対して垂直に近い角度で突き出しているピックは、重力方向には効いていても重心が上がって握っている力点が手前方向に引かれた途端に抜けやすくなる。急斜面ではピックがインパクトされた瞬間から、荷重は打撃方向ではなく重力方向に向いていることが多いので、ピックは打撃面より重力方向に35〜40度程度は下がってつけられていることが必要だった。刃先が下がっており、かつグリップを手前方向に引いても抜けにくいようにその歯にはいくつもの「かえし」となるギザギザがつけられている。

そしてこの用途に合わせたアックスは必然的にどの身長の人間でも48-50cmが適切らしい。人間の肘から指先までの距離が身長ほどに違わないためなのか、肘が稼働する可動域が持ちうる遠心力の関係なのか、人間工学的なことは私にはわからない。

先述の分類にあてると、私の使い方は第二のものに該当する。といっても異種目を統合するような革新的用途は私にはできようもない。

せいぜい手元にあるタラの芽やキノコがすこし増えるくらいの話である。

願わくばこの道具が良質安価な国産のもので、ホームセンターでも手に入るようなものであってほしい。パテントなどの難しいことはわからないが、原材料の重量から考えるときには、どう考えてもその値段は高い。鉄屑屋に持っていったら二束三文にもならない。そのわりにはこの秋にとった松茸は高値で売れた。もうこのアックス無しでは安全な松茸採りは考えられない。

このように現代では誰もが納得する「モノの価値」というべきものはほとんどない。

私がどうしても欲しかった価値は、それは「金」ではなく松茸というなぜか急斜面にしか生えないキノコだったのである。

背中が軽くなるほどに足取りが軽くなるのは間違いない。と同時に、命も軽くなったように錯覚してしまうのは私だけではないだろう。

彼のノートには、例えば私の生への執着といった不定量な概念にもグラム数が書かれているのではないかと思う。

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