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焚火の遠景
2025.05.07
AIとスキーと雪崩

AIとスキーと雪崩

なんでもAIに聞いてみる時代になった。もしかしたらAIが連載を代筆してくれないかなと思った。私のような文章で山のエッセイを書いてくれとAIに頼んだら、それなりの文章が出来上がってきた。読んでみたが行間の間合いやセリフのタイミングは実によく似ている。しかし何度か読み返してみても、保険の約款かなにかを読んでいるような感覚でどうにも真意が分かりにくい。「伝えること」よりも「伝わらないこと」を恐れているような文章である。当然ながら読んでいてもあまり楽しくはない。AIは失敗を恐れすぎてはいまいか。

雪山にあってAIに尋ねてみたいことは山ほどある。幾何学的には山は一つの膨大な面数の多面体と考えていい。これを3Dの画像として処理することは可能だろう。それが北アルプスであったなら、そこに膨大な層の雪が降り積もり、日々軌道を変える太陽の日射があり、気温の上昇と低下がある。これらの要素を全て鑑みて雪崩や雪庇の崩壊のリスクを計算してほしい。だが失敗を恐れるAIはきっとこう言う。

「午前9時から午後1時にかけて雪崩の確率は40%から60%に高まる、早急にその場を離れた方がよい」

AI論には精通していないが、しかしそれほど生易しいものでもないのだろう。AIは無限に学習する。無限の記憶があり無限のリマインドがある。適うわけがない。私たちは山での自らの手痛い失策を楽しむほかない。

雪山では、私たちはいつもなにかに怯えている。今日こそは想定外の雪崩れに巻き込まれるのではないか、急激な悪天に捕まるのではないか。むしろそう思うことで、リスクを計量カップで計量していると自らを納得させ、ひそかに安心を得ているフシもある。問題は計量カップの精密さだ。大きな計量カップになるほど、その容量は精密さを欠く。

街で冷たい雨が降った4月、最後のパウダースノーを求めて針ノ木雪渓を登った。ところが稜線は楽しめる程度のパウダーではなく、予想以上の降雪であった。昨日までの雨は2000m付近から雪だったらしい。針ノ木峠に上がると、低気圧通過の置き土産である強風がまだ居座っている。ゆらゆらと風に煽られながらスキーを履いたままで稜線を進む。足元の雪の表面が板状になっており、まな板ほどの大きさとなって壊れて落ちてゆく。しかしそれが全体に伝播はしないのでまだ大丈夫かと思って進む。

さらに標高を上げると積雪は増え、北面への滑降ポイントに到着した時には、吹き溜まりはもはやどの程度新雪があるのかわからなくなった。積雪面の三方を切り出してみると45cmはある。旧雪との結合は悪くはないが新雪のなかが二層あって、その分かれ目が先ほどのまな板のありからしい。2回の低気圧の通過の間に一度は晴れたか。しかし4月の山の気温は高く、全体に雪は沈み始めており安定しつつあるのは間違いがない。

これは滑降できる条件であるのか、そうではないのか判断に迷う。最終的には滑走面の傾斜と地形の形状が判断の分かれ目になるだろう。

今こそAIに尋ねたくなるが、シールを外すことすらためらわれる強風である。AIが「行けます」と言っても、私がそれを信じられる自信がない。

行けるっちゃ行けそうだし、やめといた方がいいっちゃいいですね。まあ私だったら行かないかな。。
私はそう言って仲間に向かいヘラッと笑う。なんのために笑うのか。山の急斜面系のスキーの場合、死と生はコーヒーフィルターよりは薄そうな紙の一重で隔てられている。その一重をほんの僅かに読み違えて彼方の世界に行ってしまった有識者は多い。そのことを知っている滑り手は生の脆さを知っているものたちだろう。だとするならば、滑降ポイントではいつも以上に陽気に、あるいは壊れたラジオのように振る舞うしか仕方がない。

少なくとも雪に関しての経験は仲間二人より私の方があったのは間違いない。ただスキーに関しては彼らの方がずっと上手である。そのあと私は続けて、ここを滑ることのリスクをできるだけ事務的に並べた。

「本流の滑走ラインより急峻な側壁からの小規模の雪崩で足元をすくわれる可能性がある」

「流芯が狭まる喉元のところで、自分のスキーが落とすスラフから逃げられない地形になる可能性がある」

これらは全て自分に向けた言い訳である。これくらいのリスクならスキーのライン取りで回避できるという見方もある。今ここを滑るならば、少なくとも表層の雪質はかなりいい。

しかし「迷ったらやめる」という安易な考えで私はここまで、なにごとも成し遂げられずに山登りを続けてきてしまった。この場所で唐突にその旗を下ろすほどに、私の思考はもう柔軟ではなくなってしまった。

私たち三人は強風のなか極上の斜面を前にしばし佇みつつ、ここを滑れない理由をお互いにツラツラと並べあった。ここを滑る者がバカなのか、滑らない人間がバカなのかはわからない。バカには上と下に二種類あるのだろう。

結果として私たちは滑走をあきらめ、止まない風でまだカリカリに固まったままの稜線をおっかなびっくりスキーで下ることになった。登山としては単純な往路下山となってしまったが、それはそれで楽しいねとお互いに慰め合う、よくある結末である。

案の定、帰路の針ノ木雪渓は、往路にはなかったデブリが溢れていた。仲間の二人は、やはり行かなくてよかったねという結論に達しているようだが、それらは全て山の南面に発生したデブリである。南面の雪は落ちるだろう。私はパーティーの最後尾になって一生懸命に北面を落ちるデブリを探した。私が先ほどの滑降ポイントで恐れていたものの発生を、できればこの目で確かめたかったのだ。しかし目視ではそれは確認できない。北面は静かにフラットな雪面を保っている。やはり行けたのか。

無論ではあるが、スキーヤーの侵入による人為的な雪崩があり得る。やはり行けたかもしれないなという未練は、スキーヤーにとって望ましい感情ではない。冷徹な観察者であらねばならないのはわかっている。だがその滲み出す未練も、それを否定しようとする理性も、雪崩と同じ自然現象である。脳内に起きているそれらの自然現象をじっくりと草食動物のように反芻する。細胞の中でミクロのタンパク質のようなものが雪崩を打って片側から片側へ流れているのかもしれない。

それらも全てAIによって算出できるものなのだろう。私は出来上がったばかりのデブリを避けながら、猛烈なストップ雪と化した緩斜面で苦しいテレマークターンを繰り返した。ようやく稜線の風が収まりつつあるのだろうか、滑るにつれ谷が広まり視界が開け、扇沢の駅に春の陽炎が立つのが見えた。

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