01 | ゴールデンウィーク
GWはどこでも混んでいる。平日を必死に生きる大人たちの束の間の休息ゴールデンウィーク。しかし世の中で必死に生きている社会人は、残念ながら私だけではないのだ。社会から一時解放された大人たちが一斉に野に放たれ、必死に安らぎを求めて日本各地に散らばる。丸の内線の満員電車を忘れたいのに、どうしてわざわざ遠出して人波に揉まれに行かねばならないのか。
ということでGWの行き先として私たち(私とジュン、今回はアソビお姉様も)が今回選んだのは「南伊豆ロングトレイル」。海を見ながらゆるゆると新緑の道を歩くというプランで、GWの旅先としては登山好きからしたらなかなか渋い。
車で石廊崎オーシャンズパークの灯台を目指す。私は前回の身延山登山以来の山歩きだったので、無事に歩けるのかどうかかなり心配。今日のコースは20キロあると聞いて驚いた。私は全長20キロを二日に分けて歩くのだと思っていたけど、実際は40キロを二日に分けて歩くんだそうで、歩き始めて数分でしれっと想定の二倍の長さを歩くことになった。が、例によって事前にコースを確認していないことをバレると恥ずかしいので、「別にわかってましたけど」的なノリで歩き始める。
ランでもそうだけど、スタートの時は元気だから「まあいけるんじゃね」って気持ちになりがちで、疲れてきたあたりで後悔する。ということはわかっているので、まあその時後悔すればいいか、と思って歩き出した。

ここからは余談だが、私はジュンと一緒に今月末戸隠のトレランの大会に出ることになっており、これも全く同じように「まあまだ先だし、未来の自分がなんとかするっしょ」って気持ちで何も準備をしていなかったことをこの旅の間でかなり指摘され、流石に焦ることになるのだった。そもそもなぜ参加することになったか。私がちょうど超楽しい飲み会の帰り道だったタイミングにジュンから「戸隠のトレラン大会でない?」と誘われて、「いいよ〜ん」と返事をした挙句ものの30分後にはエントリーと支払いまで完了させていたのだ。1月の私は、5月末の自分に期待を抱きすぎていたのだった。自分の突発的行動力に首を絞められていることを自覚しながら、ジュンに「こういうのを私がご機嫌の時に送ってくるのはやめてほしい」と理不尽に怒る初夏の朝。
トレランの距離を聞いたら20キロと言われ、高校時代あんなに嫌だったマラソン大会ですら10キロだったのに、その二倍の距離のレースに8000円払ってエントリーしているのは間違った成長を遂げている可能性もある。
アソビさんは、私たちの人生の大事な人ランキングに昨年流星の如くランクインを遂げた、言わずもがな素敵お姉様なのだが、お姉様でこそあれどジュンと性格がほぼ一致しているので、3人での議論は私が不利になることがものすごく多い。
今回の旅も基本的に私の立場は常に弱かった。「もう全くユウちゃんたら」みたいな感じの着地にされることが常である。
トレランの話から派生して、「そもそも私は勝負事がものすごく苦手である」という議題について「私たちは基本ユウのそのスタンス意味わかんないけど、なんで?」みたいな深掘りをたくさんされた。
走り出しから途中経過は驚くべきスピード感で進めることができるのに、勝負のクライマックスになると力を発揮できなくなってしまう自分の性を、私だってコンプレックスに思っている。だから片足重心でいろんな世界に首突っ込んで、立場が悪くなると「まあ私アッチの世界の住人なんで」って言えるようにしておく星野源的生き方。(星野源オタクに殺されそう)
わかってもらいたいわけじゃないけど、二人にはわかんないだろうなぁ(そういう二人が好きだから悪い意味じゃないの、本当に)と思いながらもなかなか重めなテーマについて話し、気づいたら漁港に出ていた。

02 | 海のそばの山
石廊崎からの山歩きはところどころ遺跡のような場所があり、鋸山を思い出さざるを得なかった。大きな岩と、明らかに人の手によって切り崩された洞窟は神秘の空気感。
アソビさんの事前調査によると「この港でご飯屋さんがあるのかもしれない、ここでご飯を少し食べれたら良い」との情報だったけれど、マップで見ていたご飯屋さんは、GWに営業をするとは微塵も思えない出立でそこに存在していてもはや悔しさすら感じなかった。YAMAPの地図には自動販売機の写真が載り「水場」と書かれているので私たちも自動販売機を水場と呼ぶことにした。
ふってふってゼリーぶどう味を水場にて補給したかったが、これが人気なのは全国共通らしく売り切れ、おとなしくグリーンダカラを購入するのだった。冷えた飲み物はやっぱり美味い。
少しお腹が空いたので、堤防に座っておやつを食べる。海がキラキラとしている。風が通って気持ちがいいな。もう夏も感じるほどの日差しだけど、風が吹くと涼しくて、涼しいとなんだか日焼けもしないような気持ちになるけどそれは全くの勘違い。と自分に言い聞かせて日焼け止めを塗る。めんどくさくて雑に塗ったので、左側の肩だけが三角に日焼けしてしまっているのを後程風呂場で知ることになる。
ファンの方にもらったお菓子袋があるので、そこからベビースターラーメンを取り出して大事に食べる。これゴープに入れたら食べるの大変になりそうだな。アソビさんはいろんなところにちょこんと座る癖があって(本人はただ座っているつもりなんだろうが、私には近くに「ちょこん」という文字が見える)、すごく背が小さいと思っていたら160cmあるらしく驚いた。今回もまた私がすごくでかいだけだった。
ジュンは堤防に寝転がって昼寝に入ろうとしていたので、「顔だけ焼けてしまえ」と言ったら顔の上に帽子をかけてサンバリアをしていた。なんだかすごく優雅だ。

03 | 静かなGW
今日は登って降りて、の繰り返しで大変だが、降りたところは海抜0mで必ず海があるから、「山頂に向かう」or「海に向かう」のどちらかの行動をずっとしているのだと思うとなんだか気分が良かった。
下山している時の方が海がよく見え、近づいているのが嬉しくなる。
自分の足さえあればどこまででも行けると信じて、時間を気にせずにゆるゆると歩く。看板がとてもたくさんあるし、ベンチもとてもたくさんある、とても親切なトレイルだ。そして人は少ない。私たちだけなんじゃないかって途中まで思っていた。港町には、住人の高齢者がちらほら。

正直人がいないってだけで、丸の内線に逆行したい私としてはもう目的達成の勢いであるので、ただここに自分が存在していることだけで良かったのかもしれなかった。
最近自分の中のバランス感覚が仕事のことでいっぱいいっぱいになりすぎていて、それが心地いい時もあるけど、俯瞰で見た時にやっぱりそういたくないなって思う。でも自分の頭に浮かんだことを浮かんだ順でやりたい私は、心を山に戻したくても意図的にそうなれなくて少し苦しかった。
すごくいい天気な5月の伊豆はずっと気持ちが良くて、海も山も人も、私が大好きと思えるものはすごくシンプルなんだっていうところに戻してくれる感覚。ずっと全部感覚で生きてる。

04 | 千畳敷
上から見た時に、平たい場所があってそこは千畳敷というらしかった。海の上に板のように岩が浮かんでいて、どう考えてもあそこに行きたい。
近くまできたときに千畳敷への看板があって、「往復で30分かかるらしいけど行く?」となったけど、そもそも冒険が好きで登山をやっているに決まってるんだから、誰の頭の中にもあの時行かない選択肢はなかった。
細い道をだいぶ下って海の方へ。上からは平たく見えていた岩は、確かに平らだけど上に乗ってみるとかなり分厚かった。水平線が見える。「海の色っていいよね」と話したけど、私が好きな海の色は、もっとジュレみたいな青緑で、それは山口の元の隅神社の先で見た海の色だと思った。波の音に平日の記憶がどんどんかき消されて、社会人でない中身の自分が剥き出しにされていく。剥き出しと言えば、こないだドンキで買った「剥く生グミ」は、食べると喉がかわくおやつだったな。

波の音を聞いてる時は、耳ではなく全身の毛穴で音を拾っている気持ちになる。
波打ち際を歩くのは、靴に砂が入るから嫌い。安全な岩の上からこうして身を乗り出して眺める海が一番好きだった。海に入るのはしょっぱいから嫌い。昔家族で海に行った時、兄弟3人とも海の味が嫌いだったし、私にいたっては後から体を洗わないといけなくなるのが面倒だと幼いながらに感じていた。家族で海に行った記憶はそのくらいだ。あの時「海へ行った日」って作文を書いた記憶がある。小学校1年生の時だな。

風とか音とか、自然に全身を包まれると、どうしても昨年10月の飯豊山を思い出すんだよな。星の王子さまの表紙みたいに、この星に私っていう人間が今ここに立ってるんだ、ってそういう気持ちになる。
別に大して歩いてないけど、この場所に、自分の足で歩いてきていることにすごく意味があるように思う。車で来てヒョイと降りたのと、ここまで歩いてきたのとでは、同じ光が目に入っていても、頭で捉える景色は全然違う。私は、そういうふうに考えるタイプ。
05 | 途中離脱
どこまでも歩いていくつもりだったけど、日没がある日本では結局はどこまでも歩くにはいかない。途中で時間を見たら15時で、あと2時間で宿に辿り着くのは流石に無理であるとこの時に気づいた。
宿の女将さんに「遅れます」と電話したら、若干迷惑な雰囲気を出されつつ、「どこにいるの、迎えにいくよ」と言ってくれて優しかった。迎えに来てもらう約束の場所まで歩くのに45分かかるので、「遠いけど大丈夫?」と心配されたが、元々あと8キロ歩く予定だった人たちなので大丈夫に決まっている。

少し待って、思った以上に自家用車な車が迎えに来た。車の中には、なんていうんだろう、80年代の映画とか、レコードとかから流れてそうな「あの音楽」がゆったり流れてて、そのまま私たちは南伊豆町の宿まで運ばれた。
迎えに来てくれたスタッフのおじさんの小話をご機嫌に聞いていたら気に入ってくれたのか、「南伊豆町を少し案内してあげる」と言われ、そのまま車で南伊豆の街並みをまわった。「ここは釣り場なんだよ。いつもはこんなに賑わっていないよ」「ここは街で唯一のカラオケなんだけど、もう潰れちゃったんだ」って説明と、BGMがどうにもこうにもマッチしていた。私にはセピア色の景色の中に、この街で駆け回る子どもの姿が見えてしまって、コンビニもないこの街に確実に今もある暮らしから、目を背けたくなったよ。
私は田舎に住むのは、悲しくて無理だ。

06 | さかくら荘
宿は坂の上にあったけど、どうしても自販に行きたかったのでわざわざ車で登った坂を降りて冷えた麦茶を買いに行った。まあ歩き疲れていたけど、私たち別にこのくらいは平気。自撮りに良さげなカーブミラーがあったら、わざわざ通り過ぎたみんなを呼び寄せて写真撮っちゃうよ、女だからね。

夕食まで残り15分と言われながら、特別急ぐわけでもなく風呂に入る。風呂の中で、ジュンの眉毛を上向きに流して「煉獄杏寿郎ごっこ」をして遊んだ。この風呂は、立ち上がると外から丸見えなタイプの風呂だな。
上がった時には18時10分だったので、急いでいるふりをして部屋に戻る。綺麗に並べたお造りを良き配置で並べたら、おじさんが「写真を撮ってあげるよ」と言ってくれたけど、髪の毛も乾かしてないすっぴんの写真なんかいるわけなかった。絶対流出するはずない永野芽郁の写真が流出する世界なんだから、この写真だってこの世に残したくないのだが。

夜こそガールズトーク的なことをする雰囲気になると思いきや、GWの私たちは1日を通してずっと最強に自由なため、一日中修学旅行の夜の部屋みたいな空気で旅をしてきたのであった。旅館の夜は特別ではなく、「好きな子誰だよ」の話は全然山でしてきた。つまり、すごく眠かった。
それぞれ自分の布団を自分で敷いた。アソビさんは枕を丁寧に織り込んでしゃんと置いておるが、私はどうしてもこういうのが上手にできない。社内で「お菓子ブーケ」を作った時に散々ディスられた不器用さを炸裂させた布団にくるまって、今日も誰よりも早く眠りにつくのだ。
07 | 伊豆の大雨
そして朝起きると予報通りの雨、雨なら歩かなくて良くなるのでそれはそれで楽しいんだよ。てゆうか雨の音好きだから。
空の色が暗くて、昨日と同じ景色とは思えない。彩度が低すぎる。
雨が降ることは知っていたが、私はレインコートさえあれば良いと思っていたので傘を持ってきていなかった。ジュンとアソビさんに「雨が降る予報なのになんで傘持ってこないのか謎」と言われたが、私も本当にそう思う。
バス停でバスを待つ間、公民館の小さな屋根に身を寄せて立っていたが、傘がある二人は自由に当たりを散策していて、正直惨めだった。

バスの窓に当たる雨粒越しに伊豆の街を眺める。雨は好きなんだけど、濡れなくてあったかい安全な場所から見るのが好きなんだよ。
作業する時はいつも雨の音を聞く。今も。
「今日も忘れたくない山旅をしたな、これを残したいな」と思いながら帰宅するのに、平日を一回過ごすと全て上書き保存される感覚があって、最近そのペースが早まっている気がする。結局山に行く前の私と何も変わっていない感性なんじゃないか。
と思いつつ、じゃあそんな日常に飛ばされた中でも私に残ったものはなんなのか、これだけでも自分の中から掻き出しつつ、せめてそれだけは忘れないようにと願いを込めて、ここに記しています。
