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焚火の遠景
2025.07.27
火焔型土器と焚火缶

火焔型土器と焚火缶

すっかりと沢の季節になった。近頃は夏の高山歩きでさえ、照りつける陽射しで身体が消耗するので足が遠のいてしまった。穏やかな川の流れを見つつ焚き火の前で寛ぐために人気のない源流へゆく。

川では水と大気の気温差が酸素の循環を呼び、それは水流の中にまで及んでいる。河原の陽焼けを恐れぬ陸生昆虫と、水辺からの羽化を目指す水生昆虫が酸素と陽イオンの撹拌を求めて集まっている。川は流れと留まりとを繰り返して、わずかづつ大きくなる。河原を歩き、流れに逆らって滝を登り、日陰の留まりに憩うことで、僕たちの肺もまた酸素に満たされる。

Photo by Shouta Hora

ようやく河原を見つけた夕方、小さな河岸段丘の草を刈って寝床を整える。タープを張り、流木を集め火床を均し、薪を切り揃える。枯れた流木の雰囲気から、それが周辺のブナの倒木なのか、はるか上流から流れてきた節くれだったダケカンバなのか、黒味を帯びた柔肌のサワクルミなのか、脂の強いクロベなのかを見分ける。

Photo by Shouta Hora

焚き木を燻らせるとタープの下に腰を下ろし、辺りを歩くムネアカアリやザトウムシ、薄暗くなって砂場の陰から活動を始めたハネアリを観察しつつ薪をくべる。ヒラタカゲロウやヒゲナガカワトビケラが吊るしたランタンに集まる。持参した焚火缶に支流の清水の水を満たし火にかける。

よく通う越後の源流は、やがて信濃川に集まるものが多い。信濃川という大河が、中部山岳の富を集めた動脈であることは、地図を見ていればすぐにわかる。最近は信濃川の中流域に散在する縄文の遺跡とその土器の不可思議さに興味があり、各地の遺跡を見てまわっている。なかでも火焔型土器を見ていると気持ちがグラグラとざわめく。

あれは実用なのか芸術なのか呪術なのか諸説がある。そのどれでもないように思う。あえていうならば信仰ではないかと思う。その内壁には「おこげ」がついていたものもあり、実際の煮炊きに使われていたのはたしからしい。僕はあの艶かしく揺らめく紋様の土器を実際に火にくべてみたいと思う。

Photo by Shouta Hora

あれを火にくべないことには、炎を、抽象ではない写実に写そうとしたその意味を知ることができないように思う。実際にあの器に水を注げば、沸々と沸るような情念が湧いて出てくるのではないか。その情念は火焔で焼くほかに鎮めることはできなかったに違いない。

炎は煮えたぎる情念であり、焼き殺すべき雑念であり、平静を得るためのよすがでもあったろう。そこには文字も概念も理性も無いとしたら、私たちとはいったいなんであろう。何物かを信じぬことには自分自身であることを保ち続けられない。当時、人が人であることは既に危うかった。いや、今もそうかもしれぬ。それを信じぬ者はさらに危うかっただろう。火焔型土器を見ながらそれを思った。火を目の前にして、人は言葉を生み出したに違いない。そこには自らが昨日までの自らで、明日も同じように自らが続くことを、なんらかの不変の合図、つまり言葉をもって確認し続けなければならなかった。

実用の見方をすれば縄文土器はおそらく使いにくい。鍋底が平滑でないから自立しにくい。平らであれば土器は割れやすくなるのだろう。底面積の狭い鍋は熱を受けにくく、当然沸騰しにくい。あれは熾の上に突き刺すようにして置くものなのだろうか。

取手が無いものも多く、当然に鍋としては掴みにくい。掴めない鍋は注げない。そもそも断熱性の高い土器では水は沸騰しにくい。もしかしたら火焔型は沸騰を促す信仰であったのかもしれない。栗も団栗(どんぐり)も栃も鹿肉も、水に晒しただけでは食べにくい。炒る、煮る、茹でるためには土器しかない。それに塩を得るにも器が欲しい、食材を貯めるにも器が欲しい。多量の土器は持ち運べない。持ち運べないために定住を余儀なくされる。定住は食料や燃料の枯渇をもたらす。縄文の時代はさしたる進歩と呼べるものなく、ただ定住場所や土器の紋様を変えながら一万年以上も続くのである。

そこには私たちのような、科学以外の何物をも信仰すまいという、ある意味で人間性が壊れたような態度はない。森も川も性も祭りも、不可思議と畏敬と狂乱との対象であったことだろう。炎ほど理性と狂気の両性を具有した存在はなかった。それを自在に操る職業のものが火焔型土器を造形し、炎を支配し、信仰を司ったのではないかと思える。

突起と螺旋、大波と小波、空洞と凹凸、渦と潮目、存在と事象の全てが混在した姿がそこにはある。炎を見つめつつ僕たちは自らの感情の越し方と行先を凝視している。それは縄文も平安も室町も明治も、変わることのない無意識の記憶である。

Photo by Shouta Hora

今、河原で炎を見つめているのは、太古からの私につらなる、幾千の眼差しだろう。それが脳の奥を痺れさせるような気がして私たちはときおり無言になる。炎のなかで飴艶色の焚き火缶がフツフツと湯をたぎらせている。

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