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白馬岳 / 家族と登った大雪渓

白馬岳 / 家族と登った大雪渓

1.プロローグ

登山を終えて帰宅する。
せっかく銭湯に行ったのに、渋滞の車の中でじっとりと汗をかいてしまった。洗い流したいのでシャワーを浴びる。夏のぬるま湯が左足にできた新しいあざを濡らす。今日の朝までは山の上にいたことを思い出した。
2泊3日は決してロングな山行とは言えないが、生活圏のほとんどを街に置く一般社会人からしたら2泊3日の山旅は大した非日常だ。寝床が寒くてもブランケット一枚足すこともできないし、お腹が空いたら自分のザックの中にあるものを食べるしかない。
不自由と共に山の中で2泊分だけ暮らす。お金を出してもウーバーイーツが何も届けてくれない場所。帰りたくてもGOもS.RIDEも迎えにきてくれない場所。
下山したらさぞ開放感があるのだろう、と思うところなのだが、不思議なことにこれが案外そんなこともない。
久しぶりに入ったはずのお風呂で髪を洗ったら、溜まった皮脂が洗い流れた瞬間には日常の感覚が戻っていた。お風呂の後に食べたラーメンは美味しかったけど、普通に美味しいラーメンだった。
さっきまで山の上にいたのに。下りてしまえばなんとあっけないことか。八方バスターミナルから見上げたもう山頂は雲に隠れている。

2泊3日の山行は人を変えないのか。

2.登山口まで

金曜は仕事を休むこととした。日付が変わってすぐに出発するんだ。
誰にも見られていないのをいいことに、また今日もものすごく手際の悪い準備をする。山での一食一食をなるべく解像度高く想像する。1日目の昼何が食べたくなるか、2日目の朝は、行動中は。
毎週のように山に登り続けてもう4年目だが、自分が食べるちょうどいい量がまだ全然わからない。
初めての試みとして、梅干しをタッパーに入れてたくさん持っていくことにした。クエン酸で疲労回復作戦を企む。

大した用意をしているわけでもないけど、多分皆さんが想像する2倍時間がかかっていると思います。
今回は山小屋泊夕飯付きなので、かなり準備は薄い方。装備の負担をお金で解決をする傲慢さと、自分の体力を過信しない善良さ。最近読んだ『傲慢と善良』面白かったです。

登山口に入る。林の隙間から広がる北アルプスの山肌と、本当にあそこに行くのかと信じられないほど雄大な稜線を見上げる。
歩き出した6時半の空気は透明で、何の不純物のない空気に、何百メートル先までも音が真っ直ぐ届きそうだ。捌けきらないガスが、山の姿を隠さないほどの薄さを保ちながら稜線にまとわりつく。ガスのレイヤーを一枚纏うことで、まるで空に山が透けているかのような錯覚に陥る。
夏の空気に北アルプスが溶けてるんだ。パワポで画像薄くする設定するとこんな感じですよね。

3.記憶の中の白馬岳

白馬岳は思い出の山だ。
父が最後に参加した家族旅行は、白馬岳2泊3日の山行だった。家族5人で白馬山荘に宿泊したのだ。当時父が所属していた山岳会の友人の、披露宴だった。
白馬山荘は随分と豪華に感じて、こんなに普通に綺麗なホテルが山の上にあるなんて、どういうことなのか信じられなかった。
ホテルには絵が飾られていた。それ以外の要素を特に覚えていないので、絵が飾られている場所を豪華な場所と認識した可能性はある。
4歳の弟を連れ、大雪渓を登った。すれ違うたびかけてもらう「ボク何歳?えらいねぇ」という言葉に末っ子はなお張り切り、自分の足で大雪渓を登り切っていた。
雨男の父がパーティに加わった2日目からはとにかく何も景色が見えなくて、披露宴はスタジオアリスで撮ってんのかと思うくらい背景が真っ白だった。下山の途中で土砂降りに降られ、最終ロープウェイの時間を逃す。家族5人危うく遭難しかけた。
それきり父と一緒に家族旅行に行ったことはない。私にとって幼少期最大の思い出、白馬岳。いつかまた登るのだろう、と思っていた。私の白馬岳。

思い出の白馬岳、いつか訪れたいと思っていたけれど、決まるときは案外あっさりだ。白馬岳に行こう、となったのはいつも通りジュンの提案だった。元々表銀座縦走の予定だったところを、諸々事情により変更に。
どうしても感じる「白馬岳」の三文字の、特別な温度。

大雪渓の前まで来て、「ああここだ。」と思った。
この景色の前で、兄弟三人で撮った写真はその年の年賀状になっていたはずだ。私は10歳で、2004年だった。ニンテンドーDSを自分のお小遣いで買った歳だ。
山は両親に連れて行かれる場所であり、自分から山に行きたいと思ったことはなかった。でも山に行きたくないと思うこともなかった。
雨男の父と同行する登山はいつでも曇っていたが、別にそれもどうでも良かった。晴れている景色の印象がないから、母のようにガスっていることを残念がったりしない。景色を見るのが楽しいと思ったことはないし、豊かな植生を観察するのが好きだったわけでもない。
ただ日常から離れたところに、家族旅行として訪れていることが面白かった。

4.大雪渓

チェーンスパイクをつけて、大雪渓に足を踏み入れる。
今私が立っているのは雪の上のはずなのに、想像する雪と違って硬いし、ものすごく汚い。遠くから見ると白いのに、近くで見るとこんなにも汚いんだ。という素直な感想は20年経っても変わらない。

ところどころに大きな岩が落ちている。落石だ。ここに岩が落下してきた瞬間があったんだ。あの左右に聳えるダイナミックな崖から。
今ここに置物のように静かに存在している岩が、猛スピードで動いていた瞬間があるということが信じられない。いつ落ちてくるかわからない恐怖に、横断歩道を渡るように右見て左見てとしたいところだが、今は足元が一番危ない。
滑って転んで2mほどずり落ちているおじさんがいた。私は今年の1月に木曽駒ヶ岳でヘルメットを滑り落として友人に下まで取りに行かせた前科があるので、滑った瞬間何かしらの装備と別れを遂げることを覚悟しないといけない。もちろん自分の命とも。

今はYAMAPがあるし、これまでの登山の知見も多少あるので、この雪渓に終わりがあることはちゃんと知っていた。それなのに、ちょうどこの時出ていたガスのせいで、数m先がホワイトアウトして見えない。せっかく大人になったのに、これじゃこの雪渓が永遠に続くと思えた子供時代と変わらないじゃないか。
前を歩く外国人グループが、白いもやの中に消えていく。あと数m歩いたら、触手の化け物が現れてもおかしくない。SFの見過ぎですかね。
雪渓の距離は決まっているはずなのに、先が見えないとそうは思えない。やっぱりこの道は永遠に続いているように思えたし、それはそれで演出としてはロマンだった。

雪渓への入り口がへりになって鋭利に尖る。雪渓の下に作られた空間は洞窟のように暗黒だった。下にはすごい勢いで川が流れる。
川を床に、雪を天井に持つあの空間には何が住んでいるのだろうか。どうどう流れる川の勢いで、押し出された空気が私のところまで届いて冷たい。真夏日の下校中に郵便局の自動ドアが開いた瞬間みたいだ。あの下はきっと郵便局よりも涼しい。あそこに住んでいるのはイエティかもしれないし、夜になるのを待つ猗窩座かも。
「鬼になれぇ〜」と叫んだら、その声が雪渓の下をこだまして登山口まで辿り着きそうだった。

ガスが上がっていくと、下で見た青空が再びはっきりと雪渓を照らす。ミストの幕があがり、左右の山壁が勇ましく際立つ。私たちが歩いてたところってこんなにかっこいい場所だったんだぁ。

どこ見上げてもかっこいい

右側を見るとコースが分岐し細くなった雪がさらに上に伸びているところがあって、このシーンは明確に覚えていた。
ここから見ると雪渓がギザギザに見えるんだよな、と思い出していたら、ジュンが「ギザギザした形に見える」と写真を撮っていたし、その後白馬山荘で買ったバッジにもそのモチーフがあしらわれていたので、どうやら私だけでなく、みんなの心に残る一枚の景色だったようだ。
これから先の20年もきっと変わらないのだろう。

右側にギザギザ

写真を見た知人に、「これ雪なの?寒いの?夏なのに溶けないの?なんで?」と聞かれて、そうかここは明確に、街にはない景色なんだなと改めて理解した。雪とのコントラストで、夏とは思えないくらい空が青黒い。雪山の空は、夜空になるのだ。

透けてきた

5.稜線へ

雪渓を登り切った先にあったのは、天空の花畑だった。ここは楽園だと言わんばかりに咲き乱れる高山植物たち。
小学生のとき、夏の自由研究で模造紙いっぱいに高山植物図鑑を作ったことがあるが、あの時も母が張り切っていた。でも例によって家族で出かけた山で撮れる写真は全て曇ってて彩度が低い。
小学生の私ですら、これだけの種類がこれだけ咲き乱れていたらテンション上がって主体的に夏休みの課題に取り組もうと思うはずだ。当時私が自ら取り組めていた宿題は、作文と習字だけだった。

奥は高山植物図鑑

振り返るたび、私たちの背中を見守る入道雲に目線が近づいていくことが嬉しく感じる。これを登り切ると雲と同じ高さにいけるんだという明確な自信があった。つまりそれって、空を飛んでることと一緒じゃないか。
右を見ても左を見てもかっこいいし、足元を見ればカラフルで小ぶりな花が登山道を彩る。歩みを進めるのが苦じゃなかった。
目的地に向かうとは楽しいことなんだ。

この雲とずっと背比べ

稜線に出る。見える世界がぐぐっと広がる。さっきまで斜めだった地面が、足の裏と水平になる。その度に私は、山に認められた感覚になる。ここまでよく登ってきたじゃん、と。
風の音しか聞こえない。風が止むと音が消える。
私の鼓膜を揺らすのは、ジュンが言った「幸せだね」というセリフだけ。ジュンの口から出てきた周波数のそのまま、私の耳に届く。
小さく呟いた声もどこまででも飛んでいく。音が、ないから。
その瞬間、ここが世界の中心なんじゃないかっていう錯覚にいつも陥るし、隣の山肌を見ると、泳ぐように空気を伝ってあそこに飛んでいけるだろうと思う。
ダイエットにつまずいているはずの自分の体が、稜線でものすごく軽く感じるのは何だろうか。

6.山頂で昼寝

白馬山荘でチェックインした後は、部屋に荷物を置いてスカイプラザ白馬にて腹を満たし、カロリーを得た体ですぐそこの白馬岳を登頂した。
どこから見ても景色が素晴らしいのはさすがの北アルプスだけど、それでも最高峰からの景色が一番いいと思えるのは、登山冥利に尽きるというものだ。ここまで一生懸命歩いてきた甲斐がある。
山頂から先、奥へ奥へと伸びる登山道が見えた。登山道で分たれた左右二つの山の色が全然違う。まだ時刻は14時だった。
寝不足でまぶたがくっつきそうになっているジュンと、手頃な岩に座り込む。太陽に近づいたはずなのに、日差しが優しくて掛け布団のようだ。腕枕をして横になったジュンは、何文字か言葉を発してそのまま眠ってしまった。眠る前に稜線を見ながら空気に放ったのは「こんなの歩ききれないよ、人生で」という小さなつぶやきだった。

雲があると景色が際立つ

その後1人しばらく谷底を眺めていたが、寝転がったらどんな感覚なのか知りたくなった。まるでベッドのような手頃な岩を見つけたので、横になってみる。
さっきまで見えていた景色が、横長に広がっていた絶景が縦長になった。さっきまでのは景色はデスクトップにしたいけど、これはロック画面だな〜などと思う。そのまま仰向けになると、青い空が視界いっぱいに広がった。
重力が逆立ちして、青に吸い込まれそうになる。『空の青さを知る人よ』のラストシーンを思い出した。あの映画嫌いなんだよな。

7.将来の夢

「将来どんな人になりたいかな?」
眠ってしまっていた。ジュンに起こされた後、2人で体育座りをして、なおもあの景色を見ながら話した。未来のことを想像させる景色なんだ。ジュンは少し悩んだ後、「揺るぎない人になりたい」と言っていた。
私は。私はね、自由な人になりたいな。何か一つの価値観に縛られることなく、パズルのピースみたいに自分の輪郭を集めながら。でもそれも風に吹かれたら変化するゆるりとした柔軟さを保って。その時自分の周りにいてくれる人に影響を受けながら。出会った人の纏う空気を吸いながら。いいなと思うものは自分の核に取り込んで一つになる。童磨じゃん。
気分とテンションに身を任せて、自分に甘く、人にも甘く。シリアスをユーモアで乗り越えて、無責任に毎日笑っていたい。そうしていくために、山に登って心を耕し、文章を書いて記憶を額縁に入れる。
今私たちが生きている延長線上に、5年後の姿がある。今の自分からかけ離れた未来が想像できないけど、明日をどんなふうに終えたいかはわかる。今見えているあの道を、歩いていきたい。晴れた夏の空の下。

白馬山荘は、まさしく天空の山小屋だった。白馬岳を背後に、全てを見下ろす全能感。でも優越感とは違くて、この世には順位なんてないなと思うあの感覚。
増築に増築を繰り返しているような長細い見た目の白馬山荘は、それでも宿泊客で満館に近いように思えた。その理由の一つとして、今日はここ標高2,800mのレストランにて、スーパー登山部のライブがある。

続く。
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