8.スーパー登山部
実を言うと、この日スーパー登山部のライブがあるということは道中まで知らなかった。途中で会った視聴者さんと話した時に「お目当てはスーパー登山部ですか」と聞かれ、「今日はスーパー登山部をお目当てに山が登れる日なのですか!?」と言った。
新曲のリリースイベントでワンマンツアーをやっている彼らは、ファイナル5日間の舞台として白馬山荘を選んでいるらしい。宿泊すれば、その空間に居られるのだとか。なんだって、、、
元々存じていたはいたが、何だか自分とは遠い世界の人たちのように感じていた。山の上のミュージックだなんて。そんなの最高な夜になるしかないじゃないか。

スカイプラザの席を、カフェ利用しながら早々に抑える。夕日が沈んでいくのが見える窓側の席で、でも謙虚さで前から2列目にした。
ビール2杯を飲んで気持ちよくなっていると、後ろの席の人に「本当に好きなので、席を代わっていただけませんか」的なことを言われたが、がんとして退かなかった。好きな気持ちに上下はないと、柿沼キヨシが言っていたので。(「あなたが気まずくなければ相席しませんか」と提案したら気まずそうにしていた。気まずいんかい。)(その後前の席が空いたのでハッピーエンドです。)

昼寝をしていたジュンが戻ってくる頃には、だいぶ会場には人が集まっていた。立ち見の人もいる。早くから席を温めていたことが功を奏した。6時過ぎだったか、ライブが始まる。
ライブ開始の冒頭MCでキーボードの小田さんが言う「このライブは、、、写真と動画、、、、、OKです」
ほっこり笑いを取っていた。ユーモア。

1曲目から好きな曲だった。『風を辿る』を聴いている時間、永遠と思えるような時間が水になって私の中を流れた。
歌い出したボーカルのヒナさんの声の透明感。
2800mの澄んだ空気を伝わる生歌は、純度100%で私の鼓膜を突き破って体をめぐり、確かに心臓まで届いた。
山に登ってきた今までの全てのことが頭を巡った気もするし、頭の中は空っぽだった気もする。日はだんだん落ちて彼らの背景を彩る窓の外は暗くなっていくのに、歌を聴きながら広がるのは水色の景色。この色は、登山口で見た透き通る山と同じだった。
山に登る人の全てを肯定してしまう強引さが、この音楽にはあった。ジャズみのある演奏もたまらない。直接的な表現がなくても、こんなにも山の情景を想起させるこのパワーは何なんだろう。
ジュンと登った山の記憶が、幼少期の登山の記憶が、MVになってまぶたの裏側を流れる。その映像は、この世に存在しない思えないくらいはっきりと完成していた。
気づいたら両目から涙が流れていた。ジュンもそうだった。
『燕』『頂き』『意思拾い』リリース予定の『山歩』など(順不同)、魅力的な曲を披露してライブは終盤に差し掛かる。
最後に披露した『スーパー銭湯もある』はご機嫌な曲だったし、アンコールにてゲストも交えたメンバー紹介はとても盛り上がっていた。ドラムが気持ちよく見せ場を迎えた会場は大いに熱狂し、ジュンが「楽しいね」と言わんばかりにこちらを振り向いた時、私は号泣していたのでめちゃくちゃびっくりしていた。
違うの。この涙の理由はね。

昔好きだった芸人さんの追いかけをしていた時、そのライブに出ていた演者さんたちと、打ち上げに参加したことがあったの。東京だったのかすら思い出せない、駐車場のようなギャラリーで行われた単独ライブと、その近くのこれまた狭い居酒屋で開かれていた打ち上げ。
気持ちのいい時間を過ごしていると、外で飲んでいたおじさんがオペラ歌手であると言うことがわかった。えーそんなの!中に来て歌ってくださいよ、と招き入れ、『千の風になって』をみんなで聞いた。店の奥から「楽器あるよ」とトランペットが出てきて、この場にいた歌手志望の女の子が、即興で吹いた。ハーモニカなら持ってるけど、と言った人がハーモニカのソロを演奏した。最高にジャズだった。きっとその場にいる誰1人、お金なんて持っていなかった。でもみんな、夢があった。
大学で教職を学ぶ学生だったこの日の私は、ものすごい多幸感と同時に、こんな夜はもう訪れないんだ、という絶望感を同時に味わっていた。
彼らは私が必死に守っている「親への体裁」とか「安定」とか、そういうものを捨てた代わりにこういう夜を過ごしているんだ、とその時明確に思った。
叶わない、と。私にはそこへいくのは無理だ。こういう夜に触れるのは、私の人生では明確に無理だ、と思った。どちらが上とかではない、でも確実に目の前に存在する彼らとの"差"に呆然とした。21歳だった。
この日の白馬山荘は、私があのとき諦めた、そんな夜だった。
あのとき私は(私にとっては)つまらない人生を送ることを覚悟していたつもりだった。でも実際には世間は変わるし、自分の心も育つ。夢を追うことは全てを捨ててその活動だけに勤しむことだけが手段ではないと、後から知った。大人の世界は、大学生の私が思っていたよりずっとずっと自由で、そして脆さを孕むものだった。
登山を始めたりYouTubeを始めたり、教員を辞めたりすることであのとき感じた"差"のコンプレックスはとっくに解消していたけど、それでも明確にあの日を思わせる夜だった。これは感覚的な話で。
私の人生、10年前に諦めた方向に進んでいるよ、と過去の言いたかった。20年前に家族で登った山の上で。


9.行動することの意味
彼らの演奏を聴いていて、もう一つ思えたことがある。「発信活動をしていくことの意味」のようなものだ。
演奏が終わって、「ああ、彼らが山にいてくれて本当に良かった」と思った。この曲たちを山の行き帰りのBGMにするし、登山中もきっとメロディを口ずさむ。
ジュンは気になったキーワードをメモして「下山したら歌詞を見ながら聴きたいな、さっき山頂で話したことの答えがここにある気がする。」と言っていた。うん、すごくわかるよ。
彼らの音楽が山にあることで、私たちの山の思い出がまた深く鮮やかに彩られる。たった今ファンになっておいて大袈裟かもしれないけど、これは確信だった。
と同時にふと、「自分たちがやっていることもおんなじなんじゃないか」と思った。(いやいやいや、今自分で書いといておんなじなわけないだろと思うが、このとき感覚的に思ったことを正直に書く)
何を目標にYouTubeをやったらいいのかわからなくなっていた。ただ山を味わって、自分の人生の彩りにしたい。登録者何人を目指すとか、何を成し遂げるとか、そういう明確な思いが今私の中にはない。
私たちもただのいち登山客なのに、と思った。ただ自分たちが登っているところを動画にして公開しているだけで。応援してくれる人がいるのはありがたいけれど、ただの一般登山客の私たちがみんなに何ができるのか、なぜ私たちを応援してくれるのかが全然わかっていなかった。
でもスーパー登山部を見て、「あなたたちが山にいてくれてありがとう」と思った。その理由は、私の人生がこれによって彩られるから。
これかな、って。登山なんて、究極山と肉体さえあればできるものなので。山小屋でおいしいご飯がなくても、頂上でライブをやっていなくても、登って帰ってこられればそれで登山は成立する。でも、私にとってそれは、一生の趣味にするにはあまりに味気ない。
友達とおしゃべりをしながら登る。まだ行ったことのない山に登る。百名山に登る。お気に入りのおやつを楽しみに登る。音楽を口ずさみながら登る。誰かの言ったあの言葉を反芻しながら登る。
私たちがしている発信活動は、誰かの登山の彩りになっているのかもしれない、とこのとき思った。
いつか本を出そう。YouTubeの更新も頑張って続けてみよう。私が感じたことは私の中に残ればいいと思って文章を書いているけど、それが誰かの彩りになると過信して、あまりに自己中にそうして発信をしていくことは、いつか振り返った時に「こんなに遠くまで来たのか」と思う道程になっているのではないかと思った。
唐松岳まで続くという、あの稜線のように。なんちゃって。

10.言葉のいらない関係
スーパー登山部に感謝を伝えたかったけど、ファンの方の列ができていたので、熱い気持ちは心にしまうことにした。(でもその後DMしてるから結局奥ゆかしい女にはなれなかった)
よく晴れた2日目の朝、白馬岳の「頂き」で朝日を迎えた。溢れ出す朝影が頬を撫でて笑い出す。オレンジに包まれて、新しい朝が来る。
オレンジと言いたいところだが、今日朝が来る時の雲はピンク色だった。晴れた夏の朝日を見るのは初めて、ということは夏雲がこの色に染まるのも、見るのは初めてだ。
昼の白い光でも十分立体的だった雲は、輪郭をピンクに縁取られてよりその存在感を増す。もはや山よりも雲を見ている時間のほうが長かった。
全方位を見て何もかもが美しく、これは私が言葉にするのが無意味な世界だと思う。



2日目のコースは、白馬三山の残りの二山をハントし鑓温泉まで降りてしまうルート。昨日私は1700mも登っていたらしい。今日の登りは490m、登るところ登り切ったあとの、ご褒美のような2日目が始まる。
栂池の方に降りていく人が多いようで、杓子岳まで向かう道は昨日の賑わいからは考えられないほどに空いていた。
ジュンと2人で、わかりやすく2人ともご機嫌になっていく。
杓子岳へ向かう道から山荘を振り返ると、昨日私たちがいかに特別な場所にいたのかを思い知ることができた。だって今すぐにでも雲に飲み込まれそうなあの赤い建物は、昨日まで私たちがカレーを食べていた場所だ。
人がいない稜線を歩いていると時折、全てがどうでもいい、と思う感覚に陥る。街で抱えていた悩みや不安が全部、どうでもいい、ということだ。
誰かと何かを比べたりすること全てが、どうでもいい。ランキングとか、劣っているとか優れているとか、SNSの世界とか、フォロワーの人数とか、もう本当に、本当に全部がしゃらくさく思えてくる。この感覚はビールで酔っているときに少し似てる。
山に登る前心の中で抱えていた黒いものは、一歩歩くごとに地面に溶け出してなくなっていくし、私の頭を覆っていたモヤは風で吹き飛ばされてしまう。その後に残るのは、愛とか、そういう重さのあるものだけだ。
こういう時、私とジュンはあまりしゃべらなくなる。距離が空くこともしばしばある。すごく綺麗だね、と思うけど、言う必要がないなと思う。多分「その瞬間」ジュンと私は全く同じことを考えているからだ。

あの稜線は〇〇山に似ているね、とか。あそこの影がかっこいいね、とか。口から出していない言葉も、多分一言一句違わずにおんなじ言葉を浮かべている。そう信じられる。
山に登って素晴らしい景色を見た時、これを自分の愛する人に見せたいな、と思うのは自然なことだ。でも実際にはその場所に辿り着くまでのハードルが人によって違うし、仮に辿り着けたとしても体力的に限界状態ならその景色の捉え方も変わってしまう。ここまで苦労して辿り着いた景色、に何を思うかとどの程度の苦労と捉えるかは、人によって違う。
ジュンのことは信頼できる。今この瞬間、同じことを考えているだろう、ということが。それが私たちが、2人でこの4年間山に登ってきたことの価値だった。

11.エピローグ
鑓温泉が見えた。残り20分のところに「この先滑る、山小屋まで油断しない!」と書いてある。確かに、こう書いてないとつい油断してしまうくらい、鑓温泉がずっと見えている。オレンジの壁の山小屋は、雪渓に向かって張り出しているように見えた。

隣には大きな雪渓を有するのに、テント場の脇を流れる川は湯気を放つ。この共存がなんだか不思議なんだ。
8〜9時のみ露天風呂が女性専用になりそれ以外の時間は混浴だとのことだったが、思った以上に素っ裸の人が丸見えなのですごくびっくりした。私たちは内風呂に浸かる。山で温泉に入れるなんて、変なの。疲れを洗い流せたような気もするし、シャンプーもボディソープもないので何も流れてはいない気もする。帽子を取った時に自分の頭からシャンプーの匂いがしたので、女ってすごいな、と他人事のように思った。

最終日は予定通り4時に起きて、5時に宿を後にしたら8時半には下山ができた。安曇野の温泉に行き、ラーメンを食べた。
あんなにお風呂に入りたかったはずなのに、入ってしまうとなんともあっけなく、露天風呂に浸かっている時にはもう数時間前に2000mで朝日を見ていたことなど忘れていた。遠い昔のことのように思える。
露天風呂に浸かりながら、ジュンが「山の中にいた時のことって夢みたいだから、今日のことって思えないのかな」と言っていた。それも一理ある。でも私の感覚だと、もう少し違う言葉で言いたくて、でもまだうまく言葉にできないな。
夢は起きたら消えてしまう。山に行った記憶は現実だ。山に登った時に感じたどうでもいい感覚は、街に持って帰って水槽に入れて飼いたい。発信活動を頑張りたい、と思った気持ちにも、首輪をして庭に繋いでおきたい。
2泊3日の山行は人を変えないのか。
三日間山にいたくらいじゃ、人生は何も変わらない。でも山にいた感覚は、空気としてぼんやりと残る。この空気が私の周りから逃げていく前に、全て文字に起こして私に留める。こうしてまた日常に戻る。
山に登る前より少しだけ自分を好きになった状態で、平日に帰るのだ。
