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山のコト Experiences

焚火の遠景
2025.09.16
山と視覚と仏教

山と視覚と仏教

八ヶ岳南麓の高原に住んでいる。近年になり移住者が増えているのは、その内陸性の低湿な気候と、夏の高原の涼風による。

現在では元々の生活者と移住者の割合が拮抗するくらいにまで、移住者が増えてきているのではあるまいか。それほどに我が家の近隣の森の中には瀟洒な新築が増えて続けている。

私はこの地で生まれ育った者ではあるが私の両親はそうではなく、彼らは昭和50年代、現在の移住ブームに繋がるごく初期の頃の移住者である。その意味では私は移住者2世ということになる。

戦前にアメリカ西海岸やブラジルに移住した日本人の子孫である日系2世には及ぶべくもないが、いわば先祖を持たぬ地に生を受けたハイブリッド種のようなものであり、そこには掃き清められずに残った埃のような小さな悲しみがあり、今もそれを捨てきれずにいる。私にとっての故郷は間違いなく八ヶ岳南麓だが、そこには先祖の墓はなく、古い因習に縛られた田畑も持ってはいない。

私が幼い頃はまだこの地の道路網は今ほどに整備されておらず、国道こそは舗装されていたが村道や農道は未舗装の部分が多かった。平成の市町村合併以降は現在の「北杜市」、それ以前は「北巨摩郡」と呼ばれていたこの地は、古代は「巨麻郡」であり中世以降は「巨摩郡」であった。

古代に御牧(牧場)が多く存在し、良馬を産出した地である事にちなみ「駒」という言葉が地名の由来になったという説が強い。第二説として、7世紀の朝鮮半島で当時大陸で全盛を迎えつつあった唐により高句麗が滅ぼされて以後、関東中部の7カ国へ高句麗からの移民が多数渡っているという史伝が見られることから、高句麗からの帰化人にちなみ「高麗」という言葉が由来となったという説もある。おそらくそのどちらでもあるのかもしれない。

現在はカラマツの林間に別荘が散在する避暑地になっているが、これらは戦後に大量に伐採、造林されたものであり、戦前には広いススキ野原とレンゲツツジと白樺の疎林が広がる未耕の地であった。初夏の清里高原の朝霧の中に牧場の濃い緑を眺める時、七世紀にも同様の景色の中に、異言語を話す渡来人が大陸種の若馬に跨って駆け回る様子がまぶたに浮かぶようでもある。

幼少期は父が自分で建てた粗末なトタン屋根の平家で育った。そこは既存の集落からはずいぶん離れたカラマツ林の中であり、当然、舗装路などは接道していなかった。大雨が降るとトタン屋根にバリバリと音を立ててカラマツの枝や松ぼっくりが落ちてきた。朝になると家へのアプローチとなる砂利道には小魚が通れるくらいの溝が掘れており、その傍らを歩いて学校へ通った。学校へは距離にして4キロほど、標高差で150m程度も街へ下る必要があったので、低学年の児童が通うには実際にはかなり無理があった。

私は田んぼの畔と水路を跨ぎながら、いたずらにバッタやトンボを流し、それを追いかけるように畦道を駆け下って学校へ通った。この地の冬の晴天率は、おそらく国内のその他の地に比べたとき信じられないほどに高く、南岸低気圧の接近時以外は常に晴れている。富士山を真正面に見据えながら通学する幼心には、「土地というのはおしなべて緩やかに南に向かって傾斜するものだ」と思っていた。

高校生になると小学校中学校時代の動線が延長されて甲府の街へ出ることになったので、この地形学的な感想はほとんど成長を見ることがなかった。そのために今でも見知らない土地を車で走っていると、低地の方が南であると勘違いすることがままあるし、越後平野のような広い土地へ行くとしばしば方向感覚を失くしてしまう。

写真:洞翔太

思えばこの頃に毎日、通学路から同じ山を眺めていたわけだが、歩くにつれ同じであるはずの山の姿が常に変わることに不思議の念を感じていた。八ヶ岳の裾野にあって家から学校までの標高差が150mもあると山との距離感が広がるため、数多くの頂をもつ八ヶ岳の見え方は随分と異なるのである。

高校生になると社会のあらゆるものに猜疑の目を向けるごくありきたりな若者になった。その猜疑心は初歩程度の哲学にも向けられ、五感への疑いも抱くようになったのは、この幼少期の通学路からの山の景色が常に移り変わって行くことが影響していると言えなくはない。

目の前にあるコーヒーカップが見る角度により、見る距離感によりその外形、大きさを変えることは、ごく当たり前のことなのだが、それは経験上で学んだ脳の機能の表象である。コーヒーカップは任意に動かせる程度の大きさであることから、形状の変化や陰影による距離感が認識しやすい。目を開いたばかりの赤ん坊が繁々と不思議そうに自分の掌を見つめているのを私たちはしばしば目撃するが、それは自らの神経の働きと掌の動き、形の変化、影のでき方などを不思議の念を持って見つめつつ確認しているということなのだろう。

写真:洞翔太

それと同じ観点から、私は山の姿が歩くにつれて変わってゆくのが不思議でならなかった。この地に住んでみればわかるのだが、背後にある八ヶ岳の権現岳周辺には各種のピークが重なって見えており、三ツ頭、前三ツ頭、権現岳、ギボシ、ノロシバ、と当然ながら全ての山頂に名前がつけられている。これらの名前とピークを麓から正確に言い当てるのは、これらに数回以上登っている登山者でも案外に難しい。

同じように、私たちは「燕岳に登った」とはいうものの、それは燕岳に登ったことがある人の記録を読み、「同じような経験を追体験した」という程度の意味合いであることがほとんどである。実際に燕岳はあれほど美しい稜線を持つにも関わらず、南北に連なる山嶺上のひとつのピークであるため、安曇野からではその全貌が把握しにくく正確な山頂の位置が言い当てにくい。初めてこれを登った登山者には「登っては見たものの、イマイチそれがここから見るどの山のどの尾根なのかはよくわからない」という感想が残るのである。

人間の空間の把握能力には、その他の能力と同様に個人間で差があるためこれはやむをえない。そして近代以前には、我々が想像もしないほどにこの空間把握能力が高い人間が山に登っていたのだろう。

私たちが山に登る時、すべからく多くの神や仏に遭遇する。駅から登山口に至るまでには、交差点に馬頭観音があり、畦端には庚申塚がある。これらはごく素朴な生活の信仰心に基づくものであり微笑ましく眺めることができる。

登山口には山ノ神の鳥居が祀られており、登山道を少し歩くと地蔵菩薩がぽつねんと佇んでいる。山を畏怖し、時に受けた山の怒りを鎮めようとする意思が感ぜられるようになる。

尾根を登り切ったところには幕末の頃の行者が建てた修験の碑文があり、山頂には大権現を祀る奥の院が存ずる。その傍に不動明王の刻まれた石仏が建っていたりもする。ここに至って私たちは、山を修験の場と心得、哲学をもって対峙した精神を見るし、神話の中に喜怒哀楽の役回りを配された山の人格を見るのである。

これら先人たちが納めた山の神や石仏は、常にその作者が意図を託された里の方を向いている。これにはかなり精度の高い地理的な知識と作図、地形学的な概念が必要とされるのは間違いがない。なにしろ五万分の一の地形図などあるはずもない時代である。

写真:洞翔太

山に囲まれ、山からの水で産湯を浸かり、山からの水を田に引いてそれにより生かされる時、山はどうしても神にならざるを得ない。時に山の恵に生かされ、時に山からの大水に流される暮らしの中にあっては、生存権より先に被生存感が人の心に灯る。日本の山に登るとは、その地に住まう私たちの先祖の抱いていた被生存感のあり方を、再確認するということに他ならないのである。

それらを風格とか威厳とか山容といった比較論的な概念でもって選別することで、大衆スポーツ登山の創出の先駆けとなった深田久弥の功罪はいかほどだろう。

令和の現代でもこの価値観に則って百名山を巡る人々の列は絶えず、彼らはスポーツ的価値観の中に、どこか素朴な信仰心のようなものを持ちつつ山を歩くのである。見知らぬ地方の登山口に深夜移動し、里からの山の姿を眺めることもなく夜明け前から汗を流してひた登る。そしてあろうことか何のご縁もない山頂のお社に賽銭を投じて安全を祈願し、心満たされ山を降りるのである。これほどに利己的な信者がどこの宗教にあるだろうか。

写真:洞翔太

もちろん私自身もこの無分別な感謝の念をよすがに、各地の山を放浪する無頼漢の側であるのだが、その無頼漢ぶりがときに恥ずかしくなることがある。

いにしえの砂漠の民に一神教が生まれ、それが抽象の神学のなかに壮大な哲学を育んだ。現代に至ってはWEB上で人心の全てを席巻する強大な体系を作り上げている。それらの非支配構造にあって我々日本人は、被生存感のことはとうに忘れている。次から次に山にひたすらに登り続け、信仰の「上澄み」をばら撒くことで徳を重ねたような気になるものの、「山により生かされている」という根底に沈殿していたはずの概念はとうに捨て去っているのである。そうして山頂のお社の前でこの靴がどうの、ザックがどうのとやっているのである。

私たちは登山道端にある苔むした石仏の前を足早に無言で通り過ぎる。私たちの時代も過去の時代の同じようにやがてそこを通り過ぎるだろうが、石仏は風雪に耐えて残り続ける。先人たちの狙いは明らかである。

山頂に立ち、目の前を覆っていた霧が突然開け、眼下に鋭く刻まれた谷の全貌が見えたときのように、私たちは不意に山の霊気に打たれることがある。山に登る自らの克己の姿に自己陶酔する感覚も私は否定しない。しかしこの霊気に打たれる感覚は、それよりさらに尊いものにおもえる。

その瞬間を探しながら、私は山を歩いているのではないか。そんなようなことを考えている。

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