新年あけましておめでとうございます。
年末年始は実家で過ごすことこそが至高と信じてまたひとつ年を越した。私は今年ついに32歳になる。
正直独身女の32歳はかなりいい。
1.帰省
一昨年は山小屋泊、昨年はインフルで自宅療養にて年越していたので、久しぶりに年を跨ぐ瞬間を家族で過ごした。
3人兄弟の長女が私であることもあって、今のところ家族の形に大きな変化はなくお正月を過ごしている。絶対に結婚できないと思っていた妹が今年結婚したくらいか。
姪っ子ができたり孫ができたりすることもなく、家族このままの関係性で何も考えずに実家に集合できるのも、あと何回かわからない。とはいえ、実家にいて特段何をするわけでもない。とりあえず年末年始で実家に帰るという行為そのものが、地元と私を結びつけている。
イヌネコたちが、機嫌悪そうに部屋をウロウロする地元寄居町の家で、2026年を迎えた。

30代になって初めて迎えた家族との大晦日だけれど、年越しの瞬間に気持ちが昂ることが一切なく、30年も生きるとこういう感じかぁと人ごとのように思った。
2025年中に更新しようと思っていた動画の編集が終わらなかった。ギリギリ終わらなかったのではなく、全然終わらなかった。「あ〜あ、動画編集終わらなかったな〜」と思いながら年を越した。
「今年も雪山に行きたい」と弟から言われたのは12月に入る前だったと思う。3年ほど前、年始に雪山登山をして楽しかった記憶が濃かったのだ。
全然見てほしくはないがこんな動画も作った。今よりも編集技術が拙い。
ただうちの車は夏の家族旅行でシカに衝突しぶっ壊れてしまっているため、今我が家には詰めても3人しか乗れないパジェロミニしかない。
素人から見るとこのパジェロミニもいつぶっ壊れてもおかしくない状態には見える。スピードを上げる際に馬力がなくてモーターがウィーーーンと空回る音がする。

母は1月2日にゴミ捨て場の掃除当番があるという実家すぎる理由で断ってきた。妹は仕事だと言って元旦の夜には帰ってしまったし、暇人である私と弟の二人が、今回の雪山登山の選抜メンバーだ。
2.北横岳
北横岳に行くのはもう何度目だろう。
ロープウェイが使えるこの山は、初心者の友達を連れてくるのにとてもちょうどよく、なんだかんだ年に1回は訪れている気がする。
私は年始早々弟ときつい山行をしたくなかったので、手軽に異世界感が味わえるこの山をチョイスした。弟は冬の北横岳は初めてだった。
長野に抜ける関越のトンネルを超えた途端、ものすごい曇り空で心配になる。短いコースタイムで手軽に登れるのはいいのだが、樹林帯を抜けた山頂が毎回死ぬほど寒い。雪山初心者の同僚を3人連れて行って、全員に「ここで死ぬのかもしれない」と思わせた過去もある。
いつもちゃんと天気を確認して選んでいるのに、北横岳にだけはなぜか毎回裏切られる。まあいつも死ぬほど寒いのは山頂だけで林の中は快適だから、雪に埋まった森歩きを楽しめたらいいだろう。
とはいえ登る前からこの天気では、「死ぬほど寒い」のさらにその先を体験することになるのではないかと、先が思いやられるのである。
3.雪山歩き
地元寄居町から登山口を目指すと、群馬も長野も信じられないほど近い。トイレを我慢する必要もなく、おしゃべりしている間にあっという間に登山口に到着した。どのくらいあっという間かというと、M-1の振り返りを1組目から順に話し始めて、エバースまでしか到達しないくらいあっという間だった。山下ギャンブルゴリラについて語る頃には、凍った道路に運転が慎重になり、それどころではなくなっていた。

いつも通りスキーの人たちに囲まれてロープウェイで坪庭に運ばれる。標高が上がっていくにつれて、木を覆う雪が増えていく。麓から歩いている人の姿が見えて尊敬した。
正月からスキーに来るような充実した人生を送る人たちと一緒のロープウェイに詰められる。みんな扉が開いた瞬間に「わぁっ…」と声を漏らしていた。そんなに寒いのかとビビったが、想定していたよりは寒くなかった。本当に寒いと手が悴んでチェンスパをつけるのも憚られるが、今日は無事装着できた。
久しぶりに会う人との登山はよくない。会話が盛り上がって、山歩きに全く集中できなくなる。
弟が元旦の朝うちでの正月をした後に、元旦の昼に友達の家に移動して2度目の正月をしてきた話、そしてそれを恒例行事化しようとしている話が面白かった。ふと気づくと坪庭をこえ、林に入ろうとしている。

これはまずい。たいして歩く距離のない北横岳でおしゃべりに興じてしまったら、本当にあっという間に登山が終わって何がなんだったのかわからなくなってしまう。
ということで、意図的に景色の話を出すようにしたが、今日はあいにく曇っていて景色は何も見えない。見えるのは手前の木々にできた氷柱たちだ。雪山は手前の景色だけでも十分楽しいから本当にいい。

覚悟していた山頂の爆風は、今まで北横岳山頂で感じた風の中で最も優しかった。その代わり滞留した雲に覆われて、周りの山など一切見えない。心の目で見てくれ。
山頂でゆっくり写真を撮る余裕のある北横岳は初めてだ。二人で「近年のインフルエンサーごっこ」をして写真を撮り、いい感じの写真が撮れては二人で「なんか見たことある!」と喜んだ。ここでは「見たことある」が最大の褒め言葉である。


4.同じ家で育った
クイックに異世界感に没入できる北横岳は本当にいい。と言いたいところだが、もはや山に行き慣れてしまっている私たち兄弟からすると、山に行くことにはあまり特別感がなく、なんのために山に登っているのかよくわからなくなることもある。
しかしそれでも山に行くのは、ここに身を投じることでまだ言語化できていない心の動きがあるからなのだと思う。一人では決して登らない私たちにとって、山は友人と、家族と繋がる場所で、自然があることが自分の心のベースとなっているのだと思い出させてくれる。もはやこの先もずっと変わらない。
私も「私という意味からも逸脱したい」。イルミネーションを見る時に人は木を見ない。山に紛れている時、私は自分という意味から逸脱している、のかもしれない。
SNSの誰かのポストで「人類は正月休みで頑張りすぎる日々に急ブレーキをかけている。正月休みがなかったら視界が仕事でいっぱいになって人生の本当の楽しみを忘れてしまう。」みたいな投稿を見て妙に納得した。
もはや年末年始しかみんな揃って帰省しないけれど、この場所でこの家族と共に育ったことは考えなくてもわかる事実として、引き出しには入れずに頭の中の部屋の壁紙に貼る。
実家から帰る前にかつて私の部屋だった空間を覗くと、立派なお家図書館が完成していた。凝り性である母の熱が注がれたその部屋は、人の家ではなかなか見たことのないクオリティの書斎。
人が来て借りていくありきで作られた仕組みは、作者ごとの見やすい配置から始まり図書カードを作成するところまで至っていた。手前の回転式の棚には新書が置かれているらしい。なんとも芸が細かい。
自分の創作意欲とか偏愛みたいなものはこの人から来てるんだなーと改めて実感しつつ、私でも楽しく読めそうな本を3冊借りた。今年はインプットを頑張るんだ。

帰省のたびに「懐かしい」と思わなくて済むくらいの距離感で、困ったらいつでも実家カードを切れる人生を、今年も突き進もうと思います。

