街で生きる彼を山へ連れて行くのはもう何回目か。
初めの頃は私に気に入られるべく一生懸命いろんな山についてきていたが、関係がリラックスしていくにつれて段々と無理をしなくなってきた。最近は「俺のことはちびっこ登山隊だと思ってくれていい」と言っている。私から見たら物足りないのではと思えるような山が、彼にとって心地いいらしい。
とはいえ旅行をする際は、登山を絡めた計画にも乗ってくれる優しい彼である。一番の思い出は2年前に旅行で行った利尻島。
直近だとGWの那須岳か。
01 | 登山初心者の解像度
彼は20代にも関わらず、登る山のレベルが年々易しくなっている非常に稀有な存在である。
登山を始めたての頃、「男だから大丈夫だろ」という私の適当な山計画に振り回され、力量に合わない登山を散々させられてきた本当に可哀想な人。
街での趣味をきちんと持つ彼が特段山にハマることはなかったが、どうやら山は私と遊ぶ場所、そして考え事をする場所と捉えてくれているらしい。
年末休みが近づいてきたタイミングで「そろそろ山に行きたいな」と自分から申し入れてきた。毎度毎度山に連れて行かれる度に可哀想なくらいヘロヘロになっているのに、とてもえらい。
前回の那須岳で学んだことがある。
彼に「山に行きたい」と言われた時、それは「自然豊かなところに行きたい」というのと同義であるということ。
初めて山に連れて行った時、「砂利道の上すら歩いたことがない」と言われて嘘だろと思った。私は通学路が砂利道だったが、東京出身だとそんなことになるのか。四阿山でゴツゴツした石の上を歩きながら、「こんなふうに足の裏が痛いのは初めてだ」と言っていた。
せっかく山に行きたいと思ってくれているのだから、こちらとしてはなるべく非日常体験をさせてあげたいと思うが、そんな配慮はノーセンキューらしい。あまりに日常から離れた景色は、彼にとっては歩ききれなかったり、不安な気持ちになったりするようだ。
今回こそはもう間違わないぞ。
仕事の正月休みを延長した1月5日。私が選んだのは箱根にある金時山であった。
金時山は金太郎伝説が有名な山。
坂田金時が武士になる前、幼少期を過ごした山とされている。怪力自慢だった金時少年は、熊と相撲を取ったり動物たちのリーダーを務めたりしていたんだと。
山頂からどどんと見える富士山の素晴らしさ。加えて登山口付近にある公時神社で初詣もできるし、新年の登山にふさわしいチョイスだ。
私は4年前の1月3日に、ジュンと一緒にこの山に訪れている。まだYouTube2本目で、私は顔出ししていなかった。
登山口から山頂までは90分程度だし、初心者時代の私でも楽しく登れていたのだから、今回は絶対に大丈夫なはず。

02 | 起きれない
前日、いつもより少し早めに帰ってきた彼を見て、明日の早起きを多少覚悟してくれたのかなと想像する。とにかく朝が苦手なこの人を登山に連れて行くのは本当に大変なこと。仮に起きれたとしても不機嫌は確定なので、こちらも楽ではない。
とはいえ金時山までは2時間程度だし、明日は日中の方が天気が良さそうだから遅めスタートでも大丈夫。
彼が起きれないと唸る時間も計算に入れたうえ、「明日は7時半に家を出たいからね」と伝える。「わかった!」とのことだが本当にわかっているのか。
6時にセットした目覚ましでは全然起きれず、6時45分に目が覚めた。隣で寝ている彼に声をかける。
「7時だよ、あと30分で出るんだよ」と言ったら寝ながらものすごく嫌な顔をされた。この感じで30分後起きれるわけがないので一旦放置する。
キッチンへ出てみると、炊飯器に残っていたご飯が空になっていた。夜中に食べたのだな。
炊飯器で米を炊くのは最短40分かかる。今は7時。眉間に皺を寄せながら眠る彼があと40分で家を出られるわけがないので全然余裕ですね。
と思って炊飯をセットした。
昨日の夜なんの準備もしないで寝ていたが、めちゃくちゃ時間があるので何も問題ない。いつも家を3時とかに出ているから基本ドタバタしているので、丁寧に準備ができて正直とても嬉しい。
山頂に茶屋があるからそこに寄ってもいいのだが、手作りのご飯が好きな彼はきっと色々用意したら感動してくれるはずだ。ちなみに私はあまり料理ができない。
家でいつも食べているインスタントの味噌汁と、炊き上がったお米で梅おにぎりを5つ用意した。なんで5つなのかは適当である。朝ごはんにしてもいい。
お湯を沸かしてほうじ茶パックと共に山専用ステンレスボトルに入れた。山で暖かいお茶が飲めたら喜ぶはずだ。いつも1つしか持っていないカトラリー類も2つずつ用意した。
続いては服だ。初期装備しか山のアパレルを持っていない彼は毎回夏用の同じコーディネートになっていていつも大変心許ない。私が最近山の服が増えたことによって、今日は彼を服を一式準備してあげることができた。
万が一のためのダウンとチェンスパを彼のザックにつめる。このザックも当然私のである。
などと忙しくしていたら、ベッドにいる彼と目が合った。
こちらを見ながら目をぱちくりさせている。おい!起きてるなら起きろよ!
「起きてよ〜」と声をかけたが起きる気配がない。起こしに行って「今ね、7時45分だよ。昨日何時に家出るって言ったか覚えてる?」と言ったら「怖い…」と言われた。被害者ぶるのはずるいだろ。
ベッドからなかなか起きないので「何してるの」と聞くと「今日着る服を考えてるんだ」と言われた。所有している山の服はそんなにないはずなんだけどな。
「服準備してあるよ、私が新しく買ったアークとか着ていいよ」と言ったら目をまんまるにしながら起きてきた。「ズボンはこれ、上はこれ」と渡したものを次々に身に纏っていく。
私が買った時に「これいいなぁ」と羨ましそうにしていた服たちを着られて嬉しそうだ。鏡の前に立って満足げにポーズを決めていた。お気に召したらしいので「かっこいいね」と言っておいた。実際とても似合っていて良かった。
Bringのフード付きのワンダーウェアを着せていたのだけど、首元が苦しいと言って一度脱いでしまった。アークのアウターは気に入っているらしく脱ぎたくないらしい。
色々準備しすぎて自分のザックだけでは入りきらなくなったので、彼のザックにも諸々詰める。私が水筒を用意しているのを見て自分も持って行きたくなったらしく、自分用の水筒に熱湯を入れていた。「お茶は私のがあるからそっちは山頂で沸かす用にして、茶葉を入れないでほしい」とお願いしたら少し不思議そうにしていた。
03 | 金時山へ
寒がりな彼が登山で嫌な思いをしないように、最低限準備はできたはずだ。最終的にバタバタしたが、8時半に家を出た。1時間の遅刻だが、想定の範囲内だった。
車に乗って数分したら彼が「寒いかも」と言い出した。「だからワンダーウェア着てなって言ったんだよ」と言った。愚かである。
手袋をすればあたたかいと気づいて、車の中で分厚い手袋をしながら車を走らせる。
コーヒーが飲みたくなったので、コンビニに寄ってもらった。
「作ってくれたおにぎりいつ食べる?」と聞かれたのを「昼は降りてからも食べられるし、朝食べてもいいか」と答えたのだがうまく伝わらず、目を離した隙に彼は朝ごはんを買ってしまっていた。
車内、セブンのビニール袋から次々に出てくるおにぎり3つ。「今日この人はめちゃくちゃおにぎりを食べることになるんだな」と思うとものすごく面白くて笑ってしまった。この車の中におにぎり8個ある。
手作りおにぎりは暖かいうちに食べた方がいいだろうということで、私が握ったいくつかの梅おにぎりは朝ごはんになった。
行きの車の中で、金太郎伝説について説明する。
高速からも富士山がどどんと大きく見えるところがあって、本当におめでたい感じ。これからもっともっとあの場所に近づくのだ。
御殿場インターで降りて40分ほど山道を走ると公時神社の登山口に到着した。無料のところはいっぱいだったので、有料駐車場に車を停める。
歩き出したはいいが、めちゃくちゃ着込んでるのに「寒い気がする」とまた不安そうだ。山について調べる能力がまだないので私から得た情報しかない。それで毎回力量に合わない山行をさせられてきているのだから、不安になるのも無理はない。今日はどんな冒険をさせられてしまうのだろうと心配になるはずだ。
でも大丈夫。今日の山は安全だよ。

04 | ちびっこ登山家
住宅街の中から登り始めたので、「いつ登山口に着くの?」と不安そうにしていた。思い返せば、思い返した時に浮かぶ彼の顔はずっと不安そうである。
今回のコースはね、と地図を見せながら説明したがあんまりピンときていなさそうだ。まあとにかく悪いようにはしないから、私についてきてくれればいい。
登山口からの初めの登り30分間はものすごく静かで、誰ともすれ違うことがなかった。道路から少しずつ離れて街の音が遠のいていくにつれ、山の世界に没入していく。
根っこが張り出しているところを手で触って、「根っこは地面の中でこんなふうになっているんだね」と二人で教育番組のような感想を言う。
歩いているともうすっかり暑くなって、ザックに詰め込む服の容量が増えていた。私のザックにはもう物が入らないから、脱いだものはすべて彼のザックに入れてもらう。

もっと霜柱とかで遊べるかなと思っていたが、歩き始めが11時だったからかそんなには見つけられなかった。その代わり、朝高速道路で見た空よりも気持ちのいい快晴。全然雲がない。
冬の優しい木漏れ日に導かれて、少しずつ登っていく。ずっと階段だからへっちゃらと言いたいところだけど、正月休みでだらけた体には少し辛かった。
彼は「いいねぇー」と言いながら木々を見上げている。人が少ないところは安心できるようだ。
茶屋についたが今日は閉まっていた。ベンチがあるので二人並んで休憩をする。
持ってきたほうじ茶をコップに注いで飲む。熱々で美味しい。と言っていたら、彼は自分が持ってきた水筒も飲み始めた。ただこの水筒、コップに出すタイプではなく口をつけて直接飲むタイプなので、はっきり言ってとても危ない。水筒の小さな口から直接口の粘膜に注ぎ込まれる熱湯は、どう考えても飲み物ではない。
少し口をつけてその熱さに絶句した。普段からこの水筒を持っていっていると言うことだったので、「どうやって飲むの?」と聞いたら「飲めないよ」と言われた。飲めないんかい。
茶屋を超えて山頂に向け曲がると、笹の道に入る。「ハリーポッターの世界みたい」と言われたけれど、全然ピンと来なかった。この辺りから他の登山客も増え始める。
緩やかとはいえ登り一辺倒なので、彼が弱音を吐く。すると後ろから人影が。道を譲ろうかと振り返ると、小学生の息子をつれた母子だった。
それを見て「なんだよ、ちびっこ登山隊じゃねーか。負けてらんねー」と意地を見せて登り切ろうとする彼。
最近「嫉妬って同じステージにいる人にしかしないんだよ。大谷翔平に嫉妬しないでしょ」と誰かに言われていたので、小学生に闘志を燃やす彼が一層微笑ましいである。

大きな岩に乗って景色を見ながらチル。広く見えるのはゴルフ場で、奥で煙が上がっているのが大涌谷。4年前に来たときは、下山してから大涌谷まで行って黒たまご食べたな。まだマスクとかしてた。
彼が「もう疲れた」などと言い出した。一気に登らなければ。
金時山の登りなんて楽勝、と思っていたけど、なかなかどうして、重い体の位置エネルギーを上げることのしんどいことか。インナーを着過ぎたというのもあるが、体が暑いし一歩一歩が重い。
彼は日々のトレーニングで体が引き締まっているはずだが、それでも辛そうなので使う筋肉が違うんだろうな。
1月とは思えないほど日差しが暖かいが、記憶の中の1月はいつでも晴れている。

05 | 金時茶屋
何組かのちびっこ登山隊に抜かされたりすれ違ったりしながら、なんとか最後の登りを終え登頂した。
山頂では、登り始めてからは見えなかった富士山がどどんと大きく見えるのと、金太郎にちなんだマサカリ型の山頂標識など、パッと見て感動できるポイントが色々あるのだが、兎にも角にも風が強すぎる。
早々に心が折れた彼は「茶屋がやってる!茶屋に入ろう」と避難小屋としての入店を提案してきた。あら、茶屋には入らない想定で準備していたけど、入りたいならぜひ入ろう。
茶屋に入ると、おでんの文字がまず飛び込んできた。風ですっかり冷えてまんまとおでんが食べたい。「おでん食べよう」と言ったら店員さんに「焼き芋もまだ余ってますよ」と言われた。「焼き芋もください」と言った。まんまとである。
二人で焼き芋を半分こして、おでんはドラフトじゃんけん。じゃんけんで買った彼が最初に汁を啜ったので、「じゃあ次は私ね」とボケで言ったが無視された。
私は大根とさつま揚げを食べた。寒いところで啜るおでんの汁は、とても美味しかった。

登りで薄着になっていた装備を整え、いざ風が踊る山頂へ。山頂で景色を楽しんだり、方向盤を見ながら「あれが〇〇山かなー」とか言いたいが、あんまり興味がなさそうだ。とにかくこの寒い空間から避難がしたい様子。
急いで写真を撮って来た道を撤退する。富士山に手を合わせるのも忘れてしまった。
06 | 今年もいいことありそう
下山は公時神社に抜けるコースへ。彼は下山が苦手である。
足が痛いとぐちぐち言いながら歩く。靴が合っていないのではないかとずっと思っているのだが、私が無知なせいで永遠に助けてあげられずに申し訳ない。
どろんこの道を歩きながら、疲れた彼を心配して振り返るのだが、滑って転びそうになるのはなぜかいつも私の方なので納得いかない。「初心者なんだから気をつけるんだよ」と言われる始末である。
下山の途中に「金時宿り石」など金太郎伝説にまつわる大きな石がたくさんあった。出くわすたびにその大きさに新鮮に驚愕し、「これはなんで割れたんだろう」となぜなぜワールドに入っていく彼。山には珍しいものがいっぱいだ。
下山中は二人で「バタフライエフェクト」について話した。
「蝶が舞うような小さなきっかけが、地球の裏側での大きな事件の引き金になっている」バタフライエフェクト。
起こっていても当事者だと気が付かないよねと言いながら、木の根を引っこ抜こうとする彼は「この木の根を引っこ抜いたらこの山が崩れるみたいなバタフライエフェクトあるかな」と言う。それはどっちかっていうと「この鈴ってこんなに神社につながってたんやぁ!」って言ってたママタルトのネタの方じゃないかな。
あとは最近のファッションの話。こういうのが似合うんじゃないかと提案してくれるので、「じゃあ帰りにどこかで買って帰りたいな」と言ったら「あそことかいいんじゃない、ハオハオシャンシャンみたいな名前のところ」と言われた。
詳しく聞いたら好日山荘のことだった。動揺したが、これはボケではなかった。
登山口が近くなって来たのがわかると途端に元気になっていく彼。「あと250メートルだ!」と言うので「なんでわかるの?」と聞いたら足元にカウントダウンの標識があるんだとか。
「視野が狭いねぇ」とまた馬鹿にされた。
公時神社が開いていたので二人で初詣をした。おみくじを引いたら二人とも大吉。
こういうのは信じないと言い張っていたのに、ちゃんと引いてるしちゃんと喜んでいて可愛い。結ばずに持って帰った。
2年前に引いたおみくじがずっと飾ってあったけど、以前も二人して大吉だったんだね。以前の大吉は処分して、新しい大吉を貼った。

温泉に行って、下山中に話題に出ていたパンツはハオハオシャンシャンではなく御殿場のアウトレットにて購入。
帰路についた。「静岡なら回転寿司も美味しいんじゃないか」と、はま寿司に寄って夕飯を食べたがとても美味しかった。
でも、静岡じゃなくても「美味しい」と言っている気がする。
無事に帰って来れて一安心したのか、お腹がいっぱいになって心が満たされたのか、帰りの車では行きよりも饒舌になった彼と話が弾んだ。
最近の小さな悩みについて話している時間がとても楽しい。お互いに全然違う領域で活動しているけど、お互いに潜っている思考の到達点が似ているので面白い。別のジャンルでも人が行き着く先は繋がっているのだなぁと思う。
客観的な意見にお互い学びを得ながら、少しずつ心を育てている私たちはもう30代で、こんなことをしている場合ではないのかもしれない。
真剣になっているのは遊びとも思えるようなばかりだ。でもこれをやらないと私たちは大人になれなくて、これをやらないと自分を認められないので。その過程で交わっているこの人と、たまの余暇をこうして山で過ごそう。
信頼関係から成り立つ柔らかな優しさで、いつまでもお互いを尊重していたいなと思うよ。

