一本のナイフ。これが究極のアウトドア装備であるとよく言われる。たしかに刃物はすごい力を持った道具である。だが、歯や爪、もしくは尖った石や割った竹などで代用できなくもない(性能はかなり落ちる)。
自力では作り出せず、代用になるものも自然界にはほとんど見られないのは、どちらかと言えば『鍋』(金属製の容器)である。
ただ、鍋は本当に必要なのか?という疑問がある。実のところ鍋がないと困るのは、われわれの主食が米だからだ。米は「炊く」以外に調理の方法がほとんどない。
江戸時代中期に奥州マタギにインタビューした記録がある(『秋山紀行』鈴木牧之1828年取材)。
それによると、マタギの夏の仕事は鉄鍋一つとわずかな穀物をもち、100日間谷に籠ってイワナを釣り、燻製にして山向こうの温泉宿に卸すというものだと報告されている。
おそらく、竿やハリ、刃物などはあたりまえに持っているのだろうが、装備として『鍋』が強調されていた。
シベリア抑留を報告した岩波新書の新刊『生きて帰ってきた男』(小熊英二)のなかにも「飯盒は命の糧だから、何を捨てても、みんな絶対に手放せなかった。自分が日本に帰れたときも、まだ持っていたくらいだ」とある。
煮炊きができる容器が、代用の利かない重要装備だというのは、登山を通した私の実感と同じである。
『サバイバル登山入門』(デコ)より
山の装備としておすすめの鍋は、ビリーカンだ。
取っ手がバケツ型になっていて、焚き火での使い勝手がよい(ストーブでも問題ない)。純正品は現在手に入らないが、焚き火缶という名で似たものが売っている。飯盒でもかまわない。私の釣り仲間にも飯盒を愛用しているものがいる。バランスや容量を考えると、丸い鍋の方が少し使いやすいというのが私の印象だ。
鍋の重要性が骨まで染み込んでいるので、街で金属ゴミの日に鍋が捨ててあると気になってしまう。良さげな鍋はホームレスのおじさんと競合して、拾うこともある(違法なのか?)。拾った鍋は、猟場の奥に隠しておき、泊まるときに使っている。だが、拾う割合のほうが多いので、家のウッドデッキにはいろいろな鍋が転がっている。
サバイバル登山における装備論をより深く知る
服部文祥『サバイバル登山入門』
服部文祥氏の装備論がよりわかる書籍。彼の実行する「サバイバル登山」はできるだけ自分の力で山に登ろうという試みであるから、自分で作り出せないものを山に持っていき使うのはフェアとは言えず「ズルい」というのが基本スタンスにある。
持っていく装備に対して条件を課すことで登山を難しくしているように映るかもしれない。足枷を増やすのではなく、装備をそぎ落とし、自分を道具や文明から解放することで、本来の姿に戻っている(本来の困難と向き合っている)という考え方の方向性がカギである。〔サバイバル登山入門 42ページ〕
このような考え方で服部文祥氏が普段持っていく装備を全てチェックでき、それぞれの装備に丁寧な解説があるから登山初心者から、上級者まで新しい発見を見出せる書籍である。書籍そのものは、サバイバル登山の全貌を知る事ができる内容の濃いものである。