2000年の南会津、カモシカオリジナルの沢タビを履いている
「自分の力で登る」ことを目指すサバイバル登山で「これがないと登れない」といったら自力という前提と矛盾する。サバイバル登山の重要装備を取り上げるのはちょっと複雑である。
「百年前の山を旅する」服部 文祥
昔の登山を検証する登山、というのを趣味でおこなっている(「百年前の山を旅する」参照)。そこでもっともネックになる装備はなんだと思われるだろうか?
ちなみにグレートジャーニーで世界中を旅している関野吉晴さんが、アマゾンの原住民がやっていることは、その気になればほぼすべて(質は下がるものの)真似できる(その気になれば現代文明人も狩猟採取生活で生きていける)と言っていた。
だが一つだけ真似できないことがあるという。その真似できないことと、昔の登山を真似する時にネックになる装備は同じだった。
回りくどくて申し訳ない。その唯一のネックとは「足回り」である。裸足でジャングルを駆け回ることだけは、どうしても真似できないと関野さんは言っていた。
昔の道の検証登山、旧タイプのサワシューズロングを履く
昔の登山を検証する時の足回りは草鞋である。素足に草鞋を履いて山を歩けるほどタフではないので、地下足袋(力王足袋)の上に草鞋を履いている。地下足袋は頑丈な履物で、そのまま山登りも可能である。昔の疑似体験にはほど遠い。足回りは長年の生活環境がもろに出る現代文明人のボトルネックなのだ。
種田山頭火(1882~1940)
だまってけふのわらじをはく(黙って今日の草鞋を履く)山頭火。なかなか意味深である。
草鞋は基本的に一日で履き潰してしまう。それゆえ山行日数分持って行かなくてはならない。
この感覚は米に近い。歩くためのエネルギーとして米を持っていって消費する。歩くための装備として草鞋を持っていって消費する。とても自然な感じがする。考えてみれば米も草鞋ももとは稲である。
実は今回、釣り竿のことを書こうと思って筆をとった(マックを起動した)のだが、竿は次回にして日頃履いているものについて触れておく。
新タイプのサワーシューズ。圧倒的に性能がいい
サワーシューズ(モンベル)が私の足回りだ。6月の残雪沢登りから11月の冠雪沢登りまで、ずっとこれで通す。なかなか壊れないし、暖かく、足の保護性能も歴代の沢タビではもっとも優れている。最新型は履きやすさ脱ぎやすさも改善された。使用耐久日数は30日というところだろう。
かつては8月と9月に一回ずつしか長い山行ができなかったので、シーズン一足買えば充分だった。一泊程度の沢登りは、先シーズンのぼろいサワーシューズを履き、長いサバイバル山行に新しいものを使うのである。
だが今シーズンは2足購入した。勤め先の「岳人」がモンベルに移り、まとまった休みが取りやすくなったため、6月から10月まで、毎月長い山行をするようになったからだ。
メンテナンスはしないくせに、ケチなので古い装備を使い回す。そんな私と同じタイプの人は、沢タビに関しては注意した方がいい。私は古いタビと新しいタビをとり間違えて、片足だけ二つ持って行ったことが2回ある。左足に右足用の沢タビを履いてもなんとか登ることはできるがもちろん登山は不快である。
冬の足回りは、猟の時はラップランドブーツ。雪山の時はそれ用の登山靴を履いている。
サバイバル登山における装備論をより深く知る
服部文祥『サバイバル登山入門』
服部文祥氏の装備論がよりわかる書籍。彼の実行する「サバイバル登山」はできるだけ自分の力で山に登ろうという試みであるから、自分で作り出せないものを山に持っていき使うのはフェアとは言えず「ズルい」というのが基本スタンスにある。
持っていく装備に対して条件を課すことで登山を難しくしているように映るかもしれない。足枷を増やすのではなく、装備をそぎ落とし、自分を道具や文明から解放することで、本来の姿に戻っている(本来の困難と向き合っている)という考え方の方向性がカギである。〔サバイバル登山入門 42ページ〕
このような考え方で服部文祥氏が普段持っていく装備を全てチェックでき、それぞれの装備に丁寧な解説があるから登山初心者から、上級者まで新しい発見を見出せる書籍である。書籍そのものは、サバイバル登山の全貌を知る事ができる内容の濃いものである。