週末はどの山に行こうかな――。 高嶺の頂や秘境の道で非日常を味わう登山も好きですが、山里の歴史文化を探究するフィールドワーク的な山旅はもっと好きです。登山と“テーマ”を掛け合わせて、超個人的な視点と偏愛で楽しんだ山旅の思い出を、ちょっとずつ綴っていきます。

身も心も頭の中も! どんどんととのう、熊野古道の歩き旅

熊野古道

さすがは“木の国”こと紀国・和歌山県。樹海という言葉があるけれど、まさに樹木が波打つ海のような風景が、視界の限りに広がっています。そんな海原に浮かぶ大きな鳥居が、ようやく見えてきました。熊野古道・中辺路のハイライト、大斎原(おおゆのはら)を望む展望台からの光景です。

目に入るこの広大な大地に、およそ建造物らしいものは見当たりません。いやいや、鳥居が建造物じゃないかと言えばその通りなのですが、そうは思えないほど渾然一体としているのです。ここに立ち尽くす自分を含めたあらゆるものが自然の一部なんだなあ、と。懐の深い熊野の山河に受け入れてもらったような、やわこい気持ちになりました。

ああ、このおだやかでまろやかに整っていく心境。これこれ。

何キロも続く道を歩きながら、道々にある自然の事象を受けとり、感じて、触れたり考えたりしてみる。それがぼくの歩き旅の常なので、ここ熊野古道でも五感はフル稼働です。この時も、生き方とか働き方とかについて歩きながらヒントをもらって、思考も身心もシンプルにととのっていく心地よさを感じたものです。

田辺市の滝尻王子からおよそ40km弱の行程。おだやかでまろやかな心境にととのえられて、ぼくは丈夫でしなやかな思考回路を手に入れたような気がしました。そんな自信とゆとりを与えてくれるのも、熊野古道の効能なのかもしれません。

すべてを受け入れる、紀伊半島最奥の地

熊野古道の歩き旅1

紀伊半島の最奥に位置する熊野の地。ここには熊野三山と呼ばれる聖地があります。熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの大社のことです。そして、その聖地に至るいくつかのルートにも、名が付せられています。

  • 畿内と田辺市を結ぶ紀伊路
  • 田辺市から熊野三山を結ぶ中辺路
  • 伊勢神宮と熊野本宮大社・熊野速玉大社を結ぶ伊勢路
  • 高野山と熊野本宮大社を結ぶ小辺路
  • 熊野那智大社と田辺市を海沿いに結ぶ大辺路

これらに加えて、奈良の吉野と熊野の本宮とを結ぶ大峯奥駈道をもってして、昔の人々は三山へ歩いて参詣に訪れていたんですね。とはいえ、修験者でもなければ紀伊の分厚い山塊を越えるのは並大抵のことではなく、京や大坂から入るなら紀伊路の一択だったことでしょう。まず熊野三山の入口となる現在の田辺市を目指し、そこから熊野三山へと通じる「中辺路」を歩くというわけです。なんという長い道のり!

熊野古道の歩き旅2

遡ること平安の世、京の皇族貴族がこぞって参詣する「熊野御幸」が流行しました。中世になると武士や庶民にも熊野信仰が広がります。身分の貴賤や罪穢れを問題にせず、どんな人でも受け入れてくれる神秘の領域として、熊野三山は人々の救いの地でした。

熊野へ通じる“参道”を歩くことは、新たな身心に生まれ変わる“産道”――つまり、蘇りの道――を通るということ。過去を受け入れ、現在を認め、未来に希望を見い出す、救いの道でもあったわけです。

女人禁制や特定の結界によってほかの聖地に立ち入ることの禁じられた人でも、きっと「ここなら祈ることを許してくれる」と信じたでしょうし、命をかけてでも目指す意味があったに違いありません。山深い険しさの中に、数々の物語が生まれる文化的であたたかな土壌があったということ。古より数多の人々がととのい、生まれ変わった、祈りと蘇りの道程。ああ、こう書きながら、また歩きたくなってきました。

蘇りの道・中辺路 ~滝尻王子から近露王子~

熊野古道の滝尻王子

今、ぼくらが熊野古道のほんの一部分でも歩いてみたい、そう思う場合は「中辺路」を歩くのがよいでしょう。まず田辺市に入って前夜を過ごすのが◎です。熊野古道に精通したスタッフが観光情報に限らずナマの現地事情も教えてくれる「田辺市熊野ツーリズムビューロー」は頼りになるし、ゲストハウスなどで旅好きと情報交換なんていう夜も、旅の気分をととのえてくれるはず。

長い中辺路の中でもよく選ばれる区間として、滝尻王子から近露王子までを歩くコースは人気です。古道ならではの自然があり、石畳があり、王子と呼ばれる古社石仏の跡、棚田や山並みの原風景、カフェや民宿で憩う天空の集落と、熊野古道の魅力を凝縮して楽しむことができる素晴らしい区間。そうして到着した近露の郷には温泉のついた民宿があるので、ここをゴールに1泊してもよし。あるいは、ここを中継の宿として休息し、翌日ふたたび熊野本宮大社を目指すロングコースを歩くもよし、です。

そんなぼくはというと、中辺路を歩きながら思考と身心とをととのえることをテーマに滝尻王子から歩き始め、近露王子でひと晩“寝かせ”てから、湯峯王子を目指しました。上古より人々を救ってきた熊野古道のことを、岡本太郎はその著書の中にこう述べています。

「人格も、一度この王国にわけ入ってしまえば神秘となる」

さらっと述べていますが、なんとも重みのある表現。そんな人をも神(つまり自然)に秘してしまうほど奥深き山嶽は、意外にも明るく旅人を導いてくれます。たとえば滝尻王子から近露王子までの区間は、こんな具合に道は明瞭で、標となる王子の碑も明確。

熊野古道の道標1
熊野古道の道標2
熊野古道の道標3
熊野古道の道標4
熊野古道の道標5
熊野古道の道標6

高原地区の休憩所で素晴らしく抜けた眺めを堪能したりカフェで甘いものをとったり、道の駅熊野古道中辺路では「めはり寿司」を見かけて即買いしたり。

道の駅熊野古道中辺路では「めはり寿司」
花山法王の旅姿だとされる小さな石像

箸折峠の牛馬童子まで来れば、近露の郷はもうすぐそこ。この地で食事休憩したと伝わる花山法王の旅姿だとされる小さな石像が、にこやかに迎えてくれます。法王が食事の際に萱を折って箸にしたから箸折峠と名付けられたそうなので、ぼくもここで食事休憩。もちろん、道の駅で買い求めた「めはり寿司」を美味しくいただきました。萱で箸は作らなかったけれど。

鮎で知られる清流・日置川
継桜王子のある野中

近露の里に下り、良質な鮎で知られる清流・日置川を渡ると、そこに近露王子があります。温泉好きなぼくは、民宿ちかつゆで汗を流し、翌日の熊野本宮大社までの長い道のりに備えることに。

そうそう、翌日の行程を少しでも軽くするなら、継桜王子のある野中まで歩いておくのも一案です。ここにも宿があり、本宮までの行程を近露からよりも1時間は短縮できるので。

次回は、後編。近露から本宮、そして大日越から湯峰温泉までの道のりを写真とともにご案内したいと思います。

文と写真:大内 征(低山トラベラー/山旅文筆家)

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