日坂宿から東海道の三大難所の一つとされる峠「小夜の中山」を越え、次に向かうは菊川宿。峠に向かう登り道もすさまじい勾配だったが、下りも強い勾配が待ち構えていた。
今回は小夜の中山をスタートに、菊川宿の街並み、菊川坂石畳を経て諏訪原城跡までを案内したい。
菊川宿の入口には、昔の名残を残す石畳がある。
標識には今しがた歩いてきた小夜の中山への道が「歴史ロマンコース」と紹介されていた。そうして僕は諏訪原城跡・旧東海道石畳へと向かっていく。
宿場町を歩いていると、ふと昔の住まいを示す地図が目に飛び込んできた。
商店が立ち並ぶ川向うには妾宅があり、農民だろうか・・人家が並ぶ。道の作りは今とほとんど同じで、この地図上に書かれた人たちが先祖であるという家もあるのだろうか・・興味が沸く。
東海道菊川坂の始まり
東海道菊川坂の始まりから石畳がスタートする。
この石畳を登ってしばらくしてから後ろを振り向くと、菊川宿が見えてくる。
この菊川坂石畳は、平成12年に発掘調査により見つかったとのこと。意外と最近なのだと驚く。また、現在160mに対して、江戸時代の頃は全長約700mあったというから、きっと菊川宿場の中まで続いていたのだろう。
『この石畳なんで作られたんだろう?』
歩きながら疑問が沸く。そもそもコンクリートの地面を歩いている現代人からしてみたら、この石畳は歩きづらくてしかたがない。そもそも昔は雨や雪などが降ると、旅人はすねまで泥につかるありさまで歩くのが非常に困難だったようで、それを解決する策として竹が敷きつめられていたということが文献に残っているよう。
だけど竹は腐ってしまうので、毎年敷き替えなければいけない。そのために多くの竹や人手、さらにはお金を使わなくてはいけない。これを解決する策として石畳を敷いたということのよう。
こんなにボコボコした道を走るなんて、転んでしまいそうで僕にはできなかった。
晴れ渡る空を見上げながら芝生では家族がお茶をしていた。なんとも和やかな景色だ。
この菊川坂石畳を登りきると待っていたのは『諏訪原城』。この城跡は、明治維新を迎え徳川慶喜が駿府に配されるまでは周辺含め荒廃していたようだ。慶喜を慕って随従した旧幕臣たちが、移住して開墾し主に茶畑としたという歴史背景がある。
城跡はちょっとしたトレイルになっていて、人も少なくランニングを楽しめた。もちろん観光客の方々が見えたら走りを止めて迷惑をかけないよう歩く。
こうして次はゴール金谷宿へ。ここからは牧之原ハイキングコースという名に。この辺一帯は茶畑が広がり、なんとも優雅な景色だが、旧東海道石畳はその茶畑を後に、山を下るように金谷駅へと降りていく。
次回はこの東海道五十三次ランニングでもメインとなる旧東海道石畳と、茶畑が一望できるトレイルを紹介したいと思う。