こちらの記事は、2024年を迎える日に雲取山荘に宿泊した時の話です。動画で見たい方はこちらです。
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05 | 新年の朝
朝ごはんは、おそらく定番であろうメニューにお雑煮がくっついていた。お雑煮の出汁は昨日の蕎麦のものと同じだった。3人で、家のお雑煮の出汁の味について話した。
朝ごはんを食べ終わった後、荷物をデポして山頂に向かった。あんまり時間がなかったので、ほぼ立ち止まらずに結構急な道を登ったので、なかなかきつかった。山頂に到着した時に「結構急だったー!」と言ったら「でも荷物がないから楽ちん」と言われ、私と感想が全然違ったので、体力ついたと喜んでた2023年だったが、まだまだだったと思った。
山頂よりもその手前の避難小屋のところの方が綺麗に見えるらしく、時間がギリギリだったのでそこまで走った。走っている途中で初日の出が出てきた。2023年の竜ヶ岳では、暗いうちから登り始めていたので初日の出の一部始終を全て見たが、今回は本当に日の出る瞬間だけを見られた感じでお得だった。
元旦らしく気持ちよく晴れていて、今年も素晴らしい幕開けだった。私はなんだかこの瞬間、今年は去年以上にものすごくいい年になるんじゃないか、という気持ちになった。YouTubeも3年目に突入し、この瞬間になんというか、覚悟とか、今までの自分より進化していく必要性と必然性と、とにかく清々しく、気持ちよく、30歳になる年に、生まれ変わるような気持ちだった。私は私らしく歩んで行こうと思ったし、そうすることがきっとできると思った。
日の出をカメラに収めていたが、どうしても実物と同じ色味にならず、圧倒的に実物の方が美しい。去年も言ったかもだが、この記録に残せない刹那的な美しさを、肉眼に焼き付けなければと思った(でももう忘れてしまった)
06 | ぺったんこ
山頂から下山したら、餅つき大会がちょうど始まるところだった。登山客たちが火の元に集まってひしめき合って暖をとっていて可愛かった。餅つきは、初めは小屋の人がすり潰すようにくるくる周り、その後水をつけながらいわゆる「ぺったんこ」が始まった。餅つき大会をちゃんと見るのは初めてな気がした。
初体験にテンションが爆上がりし、「餅つきたい人〜?」という問いかけに「はぁーい!!」と元気よく返事をしたので、完全に私から餅つき体験スタートな空間支配力(高比良くるま並の)を得ていたのに、普通に手前にいた人からになってガーンと思った。最後の最後に私とジュンに順番が回ってきたが、時間が押していたため5ペッタンくらいしかできなかった。ので疲れもせずちょうどよかった。(ちょうどよかったんかい)
みんなでついた餅を、台に乗せてちぎってもらったやつをみんなで食べた。砂糖醤油がとてもとても美味しかった。トチのおもちらしく、色が黄色だった。砂糖醤油が美味しくて全部砂糖醤油で食べたかったけど、「2度漬け禁止」と言われ「ガーン、初回でもっとたくさんつけたらよかった」と思って味のないお餅を食べたが、隣にいた女の人が、お餅を小さく千切って何度も砂糖醤油をつけて食べていて、その手があったかぁぁぁと思った。
あんこをもらって、大きいお餅に包んで持って帰った。上手く包めなくて、表から見ると綺麗なんだけど裏から見るとあんこがはみ出ていて、直人くんに「汚ねぇ」と言われた。3人とも下山の途中に不意にこのお餅を取り出して「今食べるの?」と問われ「いや、握り直す」とただ餅をぎゅむぎゅむして、またしまう、という時間があった。全員下山中もちのことが気になって仕方なかったらしい。ちなみに私は、食べるのを忘れて実家に置いてきてしまった。
07 | 奥秩父の山
2日目は下山だけだけど、とはいえ縦走なので何度か登りがあった。もう疲れ切っているので、登りの度に「ハァァ(ため息)」となっていた。直人くんが残り体力ゲージ40%、と言ったところでジュンが「え、私は一晩寝たら全て疲労が0に戻った」と言ったのを聞いて「なんだよそれ、おかしいだろ」と碇シンジのモノマネでネチネチ怒ってんのおもろかった。
奥秩父の山、という感じが懐かしい山だった。ところどころで展望が見えるのだが、冬山のはげた木たちがひしめく山肌が、いかにも埼玉の山、という感じがした。
今日はバスで来ているから、スタート地とゴール地が違くて、なんだかレベルアップした気分になった。秩父は地元のような土地だけど、三峯神社ってすごく山奥まで行かなきゃ辿り着けないイメージなので、その山奥のさらに奥から自分たちが降りてくる、っていうのがなんだかとても面白いと思った。
雪はなかったが、ペットボトルの水が凍っていた。歩いているから体は暖かいが、ちゃんと冬なんだなと思った。透明なボトルの中でキラキラと輝いていて、美しかった。
休憩の時に、高校時代の懐かしいローズネットクッキーを食べた。テーブルに雪がうっすら積もっていたので、2人で「山歩きJPここにあり」的なお絵描きをした。
ジュンが疲れた直人くんを励ますために「でもこれ歩き切ったら直人くんも登山家だよ」と言っていて、今までは登山家じゃなかったのおもろいなと思って「今まではなんだったの?」と聞いたら「ハイカー」と言っていて、私の中でそこら辺の言葉の細かいニュアンスがわからないから、面白かった。(その後に健脚登山家、と言いなおしていた)
08 | 2024年
下山しながら、今年はどんな一年にしようか考えていた。日の出の瞬間に心で感じたことを、丁寧に言語化する時間があった。
去年、私たちは「広げる1年」だった。掲げた通り、行ける山域も広がったし、私は職場の人を山に連れて行ってリーダーを経験したり、新規で出会った人と山に行ったり、トレランやテント泊、年越し山小屋に挑戦したり、かなり活動自体に広がりがあったと思う。
一方で、一回の山行の価値を自分で下げて行っている感覚もあった。必ず書いていたYAMAPも、書けない時も多々あった。なので今年は、1回の山行にきちんと向き合う一年にしたいと思った。事前の下調べをし、その後の記録も入念に。YAMAP、YouTube、まずはこの2つ。写真はみんなが撮ってくれた中から丁寧に厳選してインスタグラムへ(本当はできるなら山歩き通信もしたいが、それは無理だろうから掲げない)。
今しかできない特別な体験をしているのだから、自分自身で特別感を演出する必要がある。てなりでやれることが増えてきたからこその、もう一度向き合い直す時間が必要。だから私は、もしかしたら山に行く回数自体は減るかもしれないが、その分一回一回の山行を大事にしていく。「いつかできたらいいな」と思っていたことを、今年できるようにする。
ジュンは「去年は正直山歩きとして物足りないところがあった。今年はユウとは逆に、ガンガン色んな人と登りたい」と言っていた。「じゃあ山歩きJPとして登る回数は減りそうかな」と言ったら「何言ってんの、JPが優先で、それ以外のところにそのほかの人の予定を詰めるのよ」と言ってくれて、嬉しかった。なんかもう当たり前になってしまったけど、お互いにJPを最優先に常に考えている感じとか、お互いに同じ「山を深める1年にしたい」と思っているけど、やることや深め方は各々で違くて、そういうところが私たちはとてもいい、と思った。だからこそ、2人でやる意味があるんだよね。各々の領域でプロフェッショナルになっていくイメージだ。すごく心地がいいな。
今年はグッズを充実させたくて、それをいつだそうか、お尻を決めて絶対にできるようにしたい。
下山の途中で何度もピークハントをしたが、もはや惰性で降っているため、山頂の看板を見つけ次第「〇〇につきましたぁ」とダラダラ動画を撮った。残り2.5kmになったところでもう下りしかないぜ!と突然元気になり、爆速で下山した。お腹が空いていた。
三峯神社のところすごく混むよ、下手したらヒッチハイクだよ、と謎の秩父出身のおじさんに忠告されたので身構えて行ったが、想像よりは混んでいなかった。下山してすぐのところでおみくじ付きの大きな団子を食べた。なんだか大吉が出る気がしていたら、ちゃんと大吉が出た。ジュンも大吉だった。今年はきっといい年になる。
三峯神社で初詣をした。たくさん並んでいたけど、3人で待っていたらすぐだった。竜の形の装飾がたくさんあって、かっこよかった。
お昼を食べてからバスで帰ろうか、と言っていたんだけど、私は家族とこの後一足遅れたお正月を過ごしたかったので、なるべく早く帰りたくて、今なら13時半のバス間に合うかな?と言ったら2人とも何も聞かずに走ってくれて、嬉しかった。
私のせいで2人とも観光地でお昼ご飯食べられなかったのに、何も言わないでいてくれて、ありがたかった。私だけ三峰口駅でバスをおり、秩父線で家まで帰った。
旅の延長で最終的に地元に帰ってこられた。旅の終着点が実家で、本当に家を「ただいま」とドアを開けるまで旅が続いているって感じで、すごくよかった。ありがとう。