01 | きっかけ
昨年の10月に飯豊山に登った時、少し疎遠だった父と繋がりを感じる出来事があった。私が小学生のとき転職した父の生活からは、休日と家族の時間が消えた。父がいるけどいない家庭にて思春期・青年期を終えたが、今になって私が登山にハマったことで「いつか父さんと山に行けたら、それでいいかな」って思ってた。でも相変わらず父は仕事を休めないだろうし、そんな日が来る実感なんてなかったのに、年末本当に登山に誘われた。そして迎えた今日。父と二人は気まずいので弟を道連れにし、3人で丹沢に泊まる。
何か特別なことがあるような気がしたので、日帰りではなく山小屋に泊まりたいと思った。自分から特別なことを起こせる気はしないけど、そこは山の持つパワーに頼ることにして、漠然とした期待。山ってそういう場所じゃん?
父さんは、約20年ぶりの登山とな。6年前に再開しようと靴を買ったそうだが、すぐコロナ禍になりそれどころじゃなくなったんだそう。20年ぶりの人をどこの山に連れて行ったらいいのか迷ったが、記憶の中の父さんはすごく身軽で体力があったし、もうすぐ60とはいえ太ってないから、そんなに気を使わなくてもいけるんじゃないかなーって思ってた。
で、すぐに思いついたのが丹沢山。以前夏にジュンと来たことがあって、暑すぎて辛い思いをしていたのでリベンジしたかったのと、日帰りだと辛いけど、バカ尾根登った後に山頂の「みやま山荘」に宿泊できたら達成感もあってとても嬉しいんじゃないかって思って。
事前にルートを二つ調べて送っておいたら、「20年ぶりで自信がないから」と短い方のコースになった。父さんがどんなスタイルで登山する人なのかわからなかったから、もしかしたら主脈を通れた方が嬉しいのかなと思って提案したけど、それよりも無事に帰って来られる方が大事だよね。大倉バス停から丹沢山まで行って、二日目に鍋割山経由で帰ってくる周回コースにした。
02 | 父の事前準備
1ヶ月前くらいに父さんから電話が来た。「車で一人で行くのは寂しいから、二人と合流するために電車で行く。新宿で合流しよう。」と言われた。なんか可愛い。
みやま山荘は2ヶ月前から予約開始だったので、きっちり2ヶ月前の11月18日に電話して、予約をとる。二人にルートも送ったし、準備は万全。
年末に実家に帰った時、母から「父さんすごく張り切ってるよ」と聞いた。10万くらい使って、アウトレットでウェア類を新調したそう。普段口数の少ない父のそわそわエピソードを聞いてほっこり。山に行くことにしてよかったな。一点、「俺は夏生と二人でもいいんだけどな。俺と二人だと気まずいのかな。」と言っていたらしい。ばれている。夏生は私の本名です。
予定通り新宿駅で合流した。小田急線に乗って、渋沢駅に向かう。三人並んで座れた。父さんは、ザックを網棚に置くタイプ。
父さんは紙の地図を用意してくれていた。山と高原地図。いつもYAMAPでルート見ちゃうから、紙の地図をまじまじ見て予定立てることってないんだよな。父さんの登山の世界は20年前で止まっているから、基本的にオールドスタイル。YAMAPなんて使わないし、電車に乗る時だって切符を買う。
私は空間認知が苦手なので、紙の地図だと結局どこがどこだかわからなくなって不便、と思っていたけど、父さんは「紙の地図は全体像がわかるんだよ」と言っていた。確かに、いつもスマホで「見たいところ」だけにピントを合わせて地図を見ていた。見たいところも見なくていいところも同じ解像度と縮尺で描かれている地図を見て、こうやって塗り重ねるように土地の見え方が身についていくのかもと思った。
渋沢駅からバスに乗り込み、いざ大倉登山口へ。
03 | リベンジ丹沢
最近東京はとても寒かったので、山なんてもっと寒いだろうとビビって厚着をしてきていたけど、意外と耐えられるレベルで一安心。ネオ黒糖ロールを齧りながら、登山口まで歩く。
私は2022年8月、ジュンと一緒に丹沢に来ている。その時は、今日登る丹沢までのルートを日帰りでピストンした。丹沢には、その時のトラウマがある。その日は、夏なのに低山を選んでしまったこと、まだ体力がついていなかったことなど色々な要素が重なって、ひじょ〜〜〜〜に辛い思いをしていたんだ。とにかくきつくて、ずっと「いつ引き返そうと言おうか」のタイミングを見計らっていたらいつの間にか登頂していた、そんな苦い思い出。今日はその時からの2年半ぶりのリベンジなんだ。季節が違うのでまた色々違うとは思うが、丹沢に成長した私の姿を見せつけてやる。
今回は、おしゃべりする余裕がめちゃくちゃあって、終始弟と喋っていた。すると、分岐と「この先絶景まで⚪︎m」の看板を発見。この看板は!2年前来た時に、疲れすぎてて「は?絶景?こんな疲れてるのに行くわけないだろ」ってブチギレた記憶があるぞ!!でも今は超元気。体がポカポカしてきたくらいで、体力なんてほとんど消費していない。てことは、今日は余裕な可能性が高い!!
2年前の記憶が強固すぎて、いろんな道でその時の気持ちを鮮明に思い出し、今の自分とのギャップに喜んだ。非常に成長している。あと普通に、涼しくて嬉しい。
04 | 記憶の中の父、目の前の父
前日にスーパーで食糧調達をしていた。12時まで飲んでいたのに、東京のスーパーは2時までやってるから助かる。お菓子は何を持っていこうかと悩んだけど、父さんと登るので、自分の中では「懐かしい」に分類されるお菓子ばかり選んでしまった。ナッツが食べられなかった子供の頃よく食べていたアルファベットチョコレート。素朴な味わいのミレービスケット。そして、記憶の中の父さんがよく食べていた、源氏パイ。
休憩の時に源氏パイを二人に渡したら、二人ともその場で開けて食べていてなんだか嬉しかった。私も食べたけど、三口ぐらいで普通のクッキーのように食べ切った自分に大人を感じる。昔はさ、周りの砂糖のところだけ全部先に食べて、そのあと中身のパイ食べてたじゃんか。トッポの周り齧ったり、コロンの中身のクリームをにゅーんって出したり、きのこの山のチョコ部分を最初に舐めたり、なんで大人はそういうことしないで普通に食べるだろうと思ってた。私も、ちゃんと大人になったなー。
父さんは、ずっとすごくゆっくり進んでた。前から来た人にも後ろから来た人にも道を譲っていた。疲れているというより、疲れないように一歩一歩丁寧に踏み込んでいる感じかな。途中でストックを一本出して、3本足にして歩いてた。八木橋で買ったんだそうだ。言ってくれたら使ってないストック持ってきたのに。
私もインフル明け、長い距離を歩くのは久しぶりで心配だったので、ゆっくり歩けてよかった。弟も同じだと思う。
私の父さんは、雨男。本人曰く「水に縁がある人」なんだそうだ。高校時代は水泳部だし、大学ではヨット部で、今の仕事の前は船に乗って世界中を回っていた。だから雨男。って、なんかカッコよく言ってる感じもするけど。
だから山に行っても、大体雨で展望がない。大昔に行った家族の登山でも、何度雨に降られたことか。だから私小さい頃、登山って雨降るものだと思ってたから別に景色が見えても見えなくてもそんなに気にしてなかった気がするな。母さんに「ほら、ガスが抜けて向こうが見えたよ!!!」と興奮気味に言われてどうでもいいなと思いながら「へぇ〜」って言った記憶ある。あのとき見えたのは確か池塘だったかな。あれはどこだったんだろう。
なんで山辞めたの?と聞いたら「仕事が忙しくなったし、行っても雨降るからつまんないからさ」と言っていた。なんてかわいそうなんだ。
だから、今日のお天気も父さんがいるから雨なのかな?と思いつつ、でも日が近づくにつれて頭の中で想像する時の丹沢の景色はずっと晴れていて、実際今日はとても晴れてて気持ちのいい天気だった。何にも遮られずに、禿げた木の間から冬の青空がまっすぐ見えた。これは父さんにとって、特別な青なのかな。
だいぶ標高が上がる。階段は多いが、一定の傾斜だし、道が広いからとても歩きやすい。コースタイムを計算するときに、×1.2にしていたけど、必要なかったな。いいペースで歩けている。
堀山の家に着いた時、11時半だった。ちらほら休憩している人がいるので、うちらもお昼を食べるか聞いたけど、もっとお腹を空かせてから食べたいということで満場一致した。ここは、林の隙間から富士山が見える。ちょうど乾雪したところだけが頭を出しているな。空に溶けちゃいそうなくらい、真っ白な富士山。
05 | 青春時代
林が開けて、展望が見えた。後ろを振り返ると、キラキラというより、ギラギラと海が光っていて、鏡みたいに眩しい。太陽の角度が低いからか、ずっと夕方みたいなオレンジ色に見える。
そこにあるのが江ノ島で、あれが三浦半島、房総半島、と上から見えるものを全て教えてくれた。この辺でヨットの練習をしていたんだ、とか。
すごく、よくわかるようになってた。父さんがしてくれる、土地の説明が。こういう話、昔からよくしていた気がする。母さんもよくしてくれる。山に登った時に、あそこがあーで、って話。でも、自分が幼いと、知らない固有名詞を説明されても内容が入ってこなかった。今は、父さんの言ってることがすごくわかる。そして、その土地に根付く父さんの思い出が豊かなことも、わかる。
父さんは、昔沢をやっていたそう。渓流釣りはやっていないけど、それこそ野営とか、焚き火とか、沢登りとか、タープを貼って夜露を凌ぎながら眠る、とか。やなさんが語ってくれたみたいな日常が、彼の中にはあったらしい。水と関係がある、って本人が言うくらいだし、山よりも引き寄せられるものがあったのかな。「沢なら曇ってても関係ないから」とも言っていた。雨男が、山の中にいるには、川に入るのは自然なことだったのかな。
当時もやっている人なんて周りに全然いなくて、全部人に聞いたり、独学で学んだりしながら知識をつけて行ったそうな。父さんは、40のとき今の仕事に転職している。父さんが地元の山岳会に入ったり、飯豊山で三泊四日の山行をしたり、沢で遊んだり、家族と旅行に行ったりしていたのは、30代の話。その時の話を聞くと、とても豊かだ。今もスマホとか使わない人だけど、インターネットもないその頃、紙と自分の知識だけを頼りに冒険しないといけない時代に、彼はものすごくいろんな自然を体験している。船に乗っている時、何度も世界一周をしていた。父さんが今日持ってきている少し珍しいザックは、仕事で海外に行った時に買ったらしい。すごく豊かだ。やっていることの範囲が、すごく広くて深い。私は、この人が私の父さんであることが少し誇らしくなった。大人になった私がたどり着いた趣味が登山だったことが必然だったんだなって思った。柳原さんが語ってくれるアウトドアの世界って自分からすごく遠くで起きていることのような感じがしていたけど、実はものすごく身近にずっとあったんだなーって思って、そう考えると私がジュンと山に登っていることも、柳原さんと出会ったことも全部、一個の物語みたいに思えるなって思って。
それと同時に、今のホテルの仕事は、父さんから青春を取り上げてしまったんだな、とも思った。全て父さんが選んだ道だから、それは意味のあることだったんだと思うけど。山に行く時間、沢に入る時間、家族と過ごす時間もなく、山を辞めて20年間。買った登山靴を6年間も履かないなんて。それだけ充実した仕事に出会えているのは一つの幸せ。でも父さんの口から語られる沢とか山の話がとても豊かなので、それがなかった20年間がどんな風なのか、同じ家に帰ってたはずなのに、私には想像ができない。
「土日2日間休むことなんてなかったんじゃない?」と言ったら、「初めてだよ」と言っていた。衝撃じゃない?今まで、20年働いてきて、法事以外でこうやって休むことなかったんだって。それだけ今日が父さんにとって、特別な日なんだってことがすごくよくわかったよ。
06 | カップヌードル
お昼休憩は、花立山荘で。階段を登りながら顔を上げたら、真っ青な空を背景に、青いのれんが出ていた。「うどん」と書いてあった。でもここではジェットボイルを持ってきていたので、私がお湯を沸かしてラーメンを食べる。父さんは、「定番三種」のカップヌードルを持ってきていた。しょうゆ・シーフード・カレー。私たちが持ってこなかったときのことを考えて、3つ持ってきてくれていたみたい。それってすごくお父さんムーブじゃん。
ちゃんとそれぞれカップラーメンを持ってきていたけど、私はトムヤムクン味、弟は白味噌味のカップヌードルだった。父さんが「全員カップヌードルか。我が家の定番だな。」と笑ってた。こういうのとてもいい。SNS全部やめようかなと思った。
私がジェットボイルでお湯を沸かしたら、一瞬で湧いて驚いていたと思う。後から知ったけど、父さんもお湯を沸かすためのバーナーセットを持ってきてくれていたみたい。昔から使ってるやつだった。やなさんの焚き火缶みたいなやつ。端っこが焦げるんだよ、と教えてくれた。ほぼやなさんじゃん。
父さんは、「おしゃれだから」とか「新しいから」とかでものを買う人じゃないらしい。私は、よく考えずにものを買ってしまうし、すぐ浪費してしまうから、見習おうと思った。生きていくのに本当に必要なものは、実はほんの少しなんだよね。山の服も、もう何もいらないなと思った。とか言って、ほとぼりが覚めたらまた買うと思うけど。
お昼ご飯を食べながら、パラグライダーの人が頭上を通り過ぎていった。私たちとは比べ物にならないくらい、優雅だ。
07 | 街を見下ろす展望
塔ノ岳まで歩く。塔ノ岳の前は階段が細かくあって、段差は低いんだけど地味な筋トレしている気分になってなかなかきつかった。この時はみんな無言で、ただ一定のリズムで聞こえる足音で心臓の鼓動を数えていた。
流石に疲れたな、と顔を上げたところでやっと塔ノ岳登頂。塔ノ岳の山頂は広く、休憩している人がたっくさんいる。団体さんが多かったな。ここで「お疲れー」とハイタッチしているから、どうやら今日はここまでのピストンらしい。私たちはまだ先に行くので、これは若干の優越感を感じざるを得ない。
そして塔ノ岳、めちゃくちゃ景色が良かった!以前来た時にはガスガスで何も見えなかったので、丹沢がどうして「展望がいい山」として愛されているのか今よくわかった。表側も裏側も、山頂に木がないので遮るものが何もなく、景色がすっごい。さっきまで海が見えているだけだったのが、街の見える範囲がぐわっと広がって、東京まで見渡せた。ドローンに乗っているかのような、完全に街を「見下ろしている」感覚。ビルが塊になって貝割れみたいに生えているところが、遠くからでもよくわかった。手前にあるのが横浜で、一番高いのはランドマークタワー、名前の通りだね。東京側には二つ大きくビル群があって、海側は丸の内、陸側のが新宿。こんなに遠くからでもそこだけ高い塊が生えていることがわかって、街としてのデカさと他と比べたときの異様さを俯瞰でみた。こんなにも、上から普段住んでいる街の全てを見下ろせたのは初めてだったな。そんで日々東京で生きてるからこそ、あの中に私が立ってたときの景色と、今の景色がリンクする。ビルがあんなにちっぽけに見えると言うことは、その根元に立つ私はもっとちっぽけで、でも今ここにいる私はビルを見下ろしている。なんだか嬉しかった。
父さんが、「江ノ島の港でヨットをして・・・」とエピソードを語るように、私もこの景色を見ながら「あの中に私が働いているビルがあってね・・・」などと、語れる半生がある。自分がこの関東で、着実に大人になっていっているんだってことが、嬉しかった。
家の中でやる趣味もある。現に私は今、編み物を始めようとしている。読書や映画鑑賞だって立派な趣味で、そこに優劣はないし、その人が何に時間を使っていくかと言うのはその人次第。でも、こうやって地図をみたり、街を見下ろした時に、それぞれの土地に自分なりの注釈文を添えられること、「体験を得る」ことって、私はそれがそのまま、私の人生の豊かさになると思う。いろんなところに行って、頭の中に自分なりの地図と物語を描くこと。それが、死ぬ時に思い出される人生のハイライトになるんじゃないかって思う。海外にも、いつか行ってみたいと思った。
続きはまた来週。