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私が10歳の時に起こった、「白馬岳遭難未遂事件」。父と母、兄弟3人で夏の白馬に二泊三日で登った。最後がアクシデントで終わっていたので記憶が濃いのかもしれないが、私はあの出来事を自分の子供時代の最大のイベントと記憶に残している。
あの時なんで白馬に行くことになったのか、改めて経緯を父さんから聞いたりしながら歩いていた。やっぱり、家族5人だったのが良かったんだよな。今までも、父さんなしで旅行したことも何度もあって、それもとても楽しかった。けど「家族が全員ちゃんといた」っていうことが、こうして30年を振り返ってみると結果としてとても特別なことだったと感じる。自分が生まれた家族って、選べないからこそ特別で、大事にすべきものなんじゃないかな。
08 | みやま山荘へ至る
この頃には、もうすっかり富士山の全貌が見えていて、その迫力はやっぱり圧巻だった。真っ白と思っていたけど、意外と雪が少ないような気がする。去年静岡で働いていたので、富士山を見て思い出すことも、私はたくさんある。
ジュンと2025年初の富士山を見られなかったことに少し罪悪感を感じつつ、それがJPでじゃないっていうのも、なんだか今年らしい気もする。
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塔ノ岳から丹沢までの道は、ここまでの長い距離をずっと登ってきたことを考えると、ボーナスステージみたいな道だったと思う。よく晴れているので、ずっと展望がいい。笹が気持ちよく揺れている。
以前ガスの丹沢を登った時に「晴れてたらこんな感じかなー」って想像していた景色そのものがその場所にあって、答え合わせをしている感覚だった。
9km歩ききって、丹沢山に到着。めちゃくちゃ達成感あったなー。少し夕方みがかかった空と富士山がとても綺麗で、ずーっと眺めていられる。けど、小屋も楽しみなので、チェックインもする。
小屋のルールを教えてもらい、今日の寝床へ。個室はほとんどなく、みんなで雑魚寝式。布団がふかふかで嬉しかった。特に敷布団に厚みがあって全然寒くない。小屋の中はずっと暖かかった。夕飯まで2時間くらいあったが、眠すぎたので布団を敷いて寝ることにした。起きたら6時。消灯は8時半だし、山小屋の時間は、案外あっという間に過ぎる。私たちが3時半に到着した時には、2組くらいしか小屋にいなかったけど、起きてみたら二段ベッドの上も下も満杯になってものすごく賑やかにな空間になっていた。夕飯の時間だ。
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夕飯は、焼肉だった。野菜と、肉数枚を固形燃料で焼く。父さんはホテルに勤めているので、「この固形燃料は⚪︎分以上持つぞ。すごい」と固形燃料への知見を語っていた。味噌汁もご飯もおかわり自由。嬉しいけど、山小屋のご飯ってちょっと粒感があって苦手だな。標高高いのだから仕方ないね。
ビールを持ってくるの忘れたなーと思っていたら、父さんが一人1本分持ってきていた。私たちと山の上でこれが飲みたくて準備したんだ、と思うとなんかくすぐったい。正直寝起きなのでとんでもなく気持ち良い喉越しではないんだけど、それでもこの一杯はやっぱ特別か。
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ご飯の時間は30分だったけど、時間いっぱい使ってダラダラ食事した。そのあとは談話室でまたダラダラ晩酌の続き。晩酌用のおやつ持ってきすぎて重かったから、どんどんみんなで食べよう。
星と夜景を見に外に出てみた。塔ノ岳で見えた景色がそのまま夜景になったらとんでもないぞと思って期待していたのに、残念ながら丹沢山の山頂は禿げた木に覆われて夜景は枝の隙間を縫うようにしか見えない。ちぇ〜。夜景になれば、東京タワーなんかも見えると思ったのにな。
少し移動したら、星は綺麗に見えた。正面にオリオン座。でも、他の星座は知らないから、星が見える事実だけ確認して小屋に戻った。
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09 | 山火事
翌朝。ガサガサ言うみなさんの準備の音で自然と目が覚める。21時に寝てるから、9時間くらいは寝られたかな。下でお湯を沸かして、朝ごはんに湯を入れる。弟は計画性がないので、カップラーメンカレー味を朝から食べていた。
父さんはパンを齧っていたので、コーヒーを入れてあげた。
朝食後外に出てみたら、昨日夜景を眺めたところが真っ赤に燃えていて驚く。朝日が登っていたのだ。それはもう鮮やかなオレンジで、山火事のようにしか見えない。世界が一気に明るくなる。日の出に気を取られていると、周りの木が全て樹氷になっていることに気づく。そうか、雪山じゃなくても早朝だと樹氷がつくのか。
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私たちと同じ標高の山たちは、全て白く凍っているのが遠くからでもわかる。山の膨らみに白い産毛が生えているような。朝日に照らされて、薄くガスをまとった山のその幻想的な景色といったら。
そして昨日の安定感とはまた違った、神々しさを持ち合わせた富士山。これを、山の上で見ている。父さんと一緒に。20年ぶりに。父さんと山で同じ景色を見ている。
綺麗なものを見た時に、特に言葉にしないのだな、と思った。絶対に絶対に感動しているはずなのに、〇〇みたい、とか、〇〇よりも綺麗、とか、そういった感想を言わず、ただただこの景色を今のものとして受け入れて味わっている、この空気感がいいなと思った。
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10 | 表を信じる
去年の12月。おじいちゃんとおばあちゃんの何回忌かで、家族で法事に行った時。住職さんの話で印象に残ったものがある。「このハンカチ、みなさんに見えているこちら側が表ですよね。でも、裏返すと、今はみなさんに見えている側が表ですよね。みなさんは、さっき裏返す前を表として見たことがあるから、裏側の存在を知っているから今こっちを裏と思うのですが。本当は裏なんてものはないのです。今見えているものが全て。今見えているものだけが真実なんです。裏があるって言うのは、みなさんの過去から作られた想像でしかないのです。」っていう話。
これ私はすごく腹落ちして。「不安になったり何かと比べたりするのは、あなたたちの想像の中のことでしかない」って言われて、そうだって思って。過去がどうであれ、今この瞬間目に見えているものを大事にする。私は父さんと、空いてしまった20年間があるけれど。今こうして一緒に山にいて、嫌いだった丹沢の記憶を油絵のように濃く上塗りする今日を過ごしている。朝日がオレンジというか、金色だ。道に雪が落ちていると思っていだけど、それは風に飛ばされた樹氷の粒だった。道が白く埋まるほどの氷が木の枝につくんだな。冬の山頂は厳しい寒さ。山小屋にいたらそれも感じない。家以上にリラックスして9時間寝られちゃう。紛れもなく私は、愛されて育った。
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11 | 人生最良の日
なんかさ。人生最良の日、とか忘れられない日って、後から思い返して思うものじゃん。なんか私は今日が、今日が明確に、父さんにとってこの20年で一番いい日だったんじゃないかって思ってしまって、そう考えると涙が止まらなくて。良かったね、と思うから、なんの涙なのかわからないけど、父さんが死ぬ時にとか、私が父さんのことを思い出す時に、きっと今日のことを思い出すんだろうな、って明確にわかる日が、今日なんじゃないかって思って。まだ60にもなっていない父さんの、人生の最後を見た感じがしてしまって、なんかすごくすごく悲しくなってしまった。でも、考えれば考えるほど、父さんが健康で、歩けるうちに山に行けて良かったなとは思って。
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これから家族での山歩きが再開するかもしれないし、今回が最後にはならないかもしれないとは思う。それがすごく嬉しくて、でもこれだけ年齢差がある以上、親との関係には終わりがあるから、それが私は、とてもとても悲しくて。母さんは思ったことをはっきりと口に出すタイプだから、こちらが想像することとかないんだけど、父さんは言葉数が少ないからこそ、本人の言葉で埋められなかった分の余白に、私が勝手にストーリーを想像しちゃう。父さんが、私たちとの山のために初めて2日間休んでくれたこととか、ウェア類を一新したこととか、私が払ったタクシー代を現金でくれたこととか、下山後のご飯をご馳走してくれたこととか、今回誘えなかった妹にお土産を買わなきゃとスーパーの中を歩いている時間とか、そういうことの文脈を勝手に想像して、あったかくもなるし、同時に寂しくもなる。寂しくなるのはなんでなんだ。
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親は世界に二人しかいない。私より先に、この世からいなくなってしまう。まだ先だと思うけど、時間なんてあっという間に過ぎる。私の年齢で新しい家族を持つ人もいる。自分の親へ、そういう関わり方もあって、その方が健全なのかもしれないし、いつそうなるかわからないけど。私は私ができる範囲で、できるやり方で、二人との時間を過ごしたいなと思う。思った。すごく思った。
時間は無駄にしていないと思う。遅すぎたとかいうこともない。別に責任もない。家族は、ずっと大事だと思ってきた。何も変わってない。でもそれ以上のものがある。
山って困っちゃうね。こんなにも人の人生を、見たい形で映し出してくる。それが風に乗って、自分にまとわりついて、街までしっかりついてくる。何かあるかもーと思っていたが、こんなにとはね。やっぱ山はすごい。山は、大事な人と行くべきだ。でも大事じゃない人と行っても、別の何かが見えそうだな。それは山女日記で教わった。
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12 | エピローグ
ジュンとばかり山に登っていて、それはもちろん楽しかった。でも、私の手元には意外とたくさん大事な人やものがあるようだから、それを一つ一つ大事にして行くことはしなきゃ行けないなと思うよ。私の人生、ジュンだけがいればいいわけないからね。当たり前だけど。
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なっちゃん、渓くん、先日はありがとうございました。
早いもので、1週間がもう経ってしまいましたね。
奇妙な組合せの3人でしたが、なかなか味のある山行で、数ある思い出の中でも非常に濃く残るものになりました。
1泊山行は20年弱ぶりでしたが、いきなりはやはり無茶だったと猛省しています。
スケジュールの都合で強行しましたが、それだと安心して楽しめないので次回は気を付けます。
あの後、知り合いにLINEをしたら、皆から子供が大きくなっても一緒に行くのは非常に珍しいそうで、羨ましがられました。
小さい時から親子で山行してきた我が家にとっては普通ですが、一般的にはそう映るらしい。
丹沢は想像以上に都会が近く、景色が他の山域とは異なるのに驚きました。
あんなに様々な人々が行きかう所は経験がありません。
更に、相模湾から東京湾がずっと見えているのも印象的でした。
自分に取って、大学~船員時代をともに歩んだ地を二人と一緒に俯瞰したのは不思議な感じでした。
今日あたりは筋肉痛も大分和らぎ、ほとんど感じなくなりました。
二人の出で立ちは、若いとは言え、山馴れしている事にも感慨深いものがありました。
色々な観点から考える事が多かった山行です。
改めて二人に御礼を伝えます。どうもありがとう。
機会を作ってまた一緒に旅する時が来ることを望みます。
父さんから1週間後に届いたライン。
一週間経って日常に戻っても、その日常に侵食するくらい忘れられない1日だったんだろう。
私が大好きな会社の先輩が言っていた。「強すぎる生の輝きは同時に死を感じる」って。今日紛れもなく私たち親子は、輝きすぎた生を纏っていた。
そんな忘れられない一日を、忘れられるくらいこれからも山に行けばいいじゃない。
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